西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています

初めて救急車に乗った はてなブックマークに追加
2006年01月23日 (月) | 編集 |
ガンを宣告されたその日に帰国を決断、3日で荷物をまとめて日本に帰る準備を整えた。前々から帰ることが分かっていたのではなく、普通に生活していた人がある日突然3日後に帰りなさい、と言われたようなものである。引越しの手配、車の処分、賃貸契約及び公共料金その他もろもろの解約など、目が回る忙しさだったが、それでもけっこうなんとかなるものだなと思った。大腸内視鏡で全部出すものは出してあったおかげで、私の体調もこの3日間だけはさほど悪くはなかったので、本当に助かった。それにしても、今回は長くアメリカに住むつもりで高級家具をそろえたので、それをすべて無料であげてしまうのはなんとも悲しかったが、もうムービングセールなどをやってる時間はなかったのでしょうがない。

まず第一番目の問題の発生は、まさに日本へ帰る日の空港で起きた。今回は体調が悪かったこともあったので、機内で寝れるほうがいいと思い、清水の舞台から飛び降りるつもりで、な・なんともう一生乗ることはないであろう、ファーストクラスのチケットを購入したのだ!そして朝何も知らない私たちは予定通りサンノゼ空港へ向かった。チェックインカウンターで聞かされた事実は、まさに耳を疑う衝撃的なものであった。「成田空港が大雪で閉鎖のため本日は飛行機は飛びません」・・・・。私は目の前が真っ白になり、倒れそうになった。まさに1日でも早く日本に帰らなくては!!という思いで、必死にこの3日間で引越しを完了させたのである。しかしいくらその場で怒鳴ろうがわめこうが、飛ばないものは飛ばないのだ。というわけで、しょうがなく航空会社から紹介された空港近くのホテルにもう1泊することになってしまった。しかし、これが実は後で私にとっては超ラッキーになるのである。

ホテルに入って、とりあえず何とか日本に帰る手段はないものかと、いろいろなところへ電話しまくった。成田がだめなら関西空港があるではないか!サンノゼー成田の直行がだめなら、サンフランシスコやロサンゼルスや、とにかくどんなルートでも、いくらかかろうがかまわない。当時はそのぐらい焦っていたのだ。しかし、努力もむなしく、その日日本に帰れる方法は何一つなかった。このときばかりは、アメリカと日本の距離の遠さを恨んだ。

二番目の問題発生はホテルで起きた。昼前になって、肛門痛が激しくなってきた。その痛みはどんどん強くなってきて、昼に1度泣き叫ぶぐらいの激痛が走った。大激痛は5分ぐらい続き、しばらくすると落ち着いてくる。しかし落ち着いてくるとは言っても、泣き叫ぶぐらいではないというだけで、痛みはかなり激しいものだった。この日は食事をとることもできず、ただただベッドで泣きながら痛みと闘っていた。そのうち、このままでは飛行機の10時間も耐えられないのではないか、という不安が募ってきた。ファーストクラスとはいえ、さすがに機内で泣き叫ぶわけにはいかない。それにそんな重病の人は、そもそも飛行機に乗せてもらえない。だから健康なフリをしないといけなかったのだが、その演技すらままならないような状況であった。日本にこのままでは帰れない・・・・。ものすごく不安になった。そして激痛の間隔がだんだん狭くなってき、1時間に1度ぐらいのペースで泣き叫ぶ、いわゆる痛みの強さを1から5で表すところの5のレベルがたびたび襲ってくるようになった。

そこで主人が考えたのは、成田空港に救急車を待機させておくという計画だった。私もその計画に同意した。とにかくなんとか10時間のフライトにだけ耐えなければ!!そう覚悟した。しかし、夜中の2時にもう我慢の限界がきた。もうこれ以上我慢できない!ましてや10時間のフライトなんて到底耐え切れない!!というわけで、とうとうアメリカの救急車を呼ぶことにしたのだ。生まれて初めて乗った救急車が、まさかアメリカになろうとは・・・。まずはホテルのemergencyに電話、ホテルから救急車に連絡、10分ほどで屈強な救急隊員たちが6、7名だろうか、ぞろぞろと部屋に入ってきた。そして私に症状を質問してきて、脈をとったりした。そのときは痛みのレベルは3ぐらいになっていたので、なんとか受け応えはできた。だから救急隊員たちも安心してしまったのかもしれない。救急病院に搬送され、なんとその場に30分ぐらい放置されてしまったのだ!その間にまた最高レベル5の激痛が私を襲った。私は冷たい処置室のベッドで「早くしろよ!もう耐えられないんだよ!!」と日本語で泣き叫んでいた。

さんざん待たされた挙句、ようやく医者が来た。そして私のお尻にブスッと注射を突き刺した。するとみるみるうちに痛みが和らいでいき、私も落ち着きを取り戻した。しかし、相当強い痛み止め(恐らくモルヒネ?)なのであろう。痛みはなくなったが、起き上がるとものすごいめまいと吐き気をもよおした。目はうつろになり、よろよろとなんとか抱えられながら歩けるような状態であった。会計を済ませ、タクシーを呼び、その足でドラッグストアに薬を買いに行き、ホテルに戻ったのはもう明け方の6時。9時にはホテルを出ないと行けないから、正味寝られるのは2、3時間だった。でも痛みがなくなったのと、ほぼ1日中痛みと闘った疲れとですぐに眠ることが出来た。

こうしてぎりぎり飛行機に乗る前に痛みがなくなり、10時間のフライトも無事過ごすことが出来、成田空港に救急車を呼ぶ必要もなく日本に帰国できたのであった。よって大雪によるキャンセルは、まさに不幸中の幸いだったのである。もしあのまま飛行機が飛んでいたらどうなっていたか・・・!?想像するだに恐ろしい。それにしても、せっかくファーストクラスに乗ったのに、食事はほとんど食べられず、高級なワインも飲むことが出来ずで、ただただフラットになる快適シートで寝ているだけであったのはなんとも悲しかった。
国立がんセンターでの初診 はてなブックマークに追加
2006年01月26日 (木) | 編集 |
初診にこぎつけるまでにいろいろとエピソードがあるのだが、ここではそれは割愛する。とにもかくにもある方々のご尽力のおかげで、日本帰国早々にガンセンターでの初診を受けられることになった。まさかガンセンターの診療券を自分の名前で作ることになろうとは夢にも思わなかったが、実際診療券を手にして、自分のガンとの闘いが今日から始まるのだなという、何か覚悟みたいなものが芽生えた。と同時に、ホテルみたいな病院を目にし、自分の家から近く(なんと徒歩でも20分くらい!)、こんな素敵な、そしてガンに関しては日本で一番のところに罹れることに喜びを感じた。恵まれた環境にあるなーと思った。そしてここで治せないのならもうあきらめるしかないだろうとも思った。

私の担当はA先生だった。まずはおきまりの触診。いわゆる肛門に指をつっこむってやつだ。塗るタイプの瞬間麻酔をするとはいえ、塗ったと同時に指を突っ込むので、いったい麻酔が効く時間などあるのだろうかと疑問に思ってしまう。私は「痛ーーーーい!!」と叫び、泣いてしまった。通常は触診は痛くないとのこと。どうやら裂肛(いわゆる切れ痔)があるらしい。すでに私の場合はガンと分かっているので、今更診察で「ガンですね」などとは言われないのだが、どうやら肛門から5センチぐらいのところにガンがあるらしい。そして肛門から5センチというのはかなり重要な数字で、手術してストーマ(人工肛門)になるかならないかは、肛門から5センチ以上離れているかどうかが鍵を握っているのだ。よって先生は人工肛門になる可能性もあるから覚悟しておいてくださいと言った。人工肛門・・・・初めて聞く言葉だったし、そのときは単純に肛門が作り物になるだけのこと、と軽く考えていた。

それから手術の準備として、肉とビタミンCをたくさんとるように言われた。外科医の見解として、肉を食べている人のほうが切りやすいらしい。魚ばかり食べている人は肉も魚の肉のようにぽろぽろしてくるんだそうだ。ほんまかいな?でも外科医がそう言うんだからそうなのだろう。というわけで、この日以降、毎日肉料理ばかりを食べ、ビタミンCのサプリを買って飲むようになった。このブログを書いている2006年4月現在、食事療法をしている身から考えれば、肉を毎日食べるなど、それはそれは恐ろしい、まさに自殺行為をしていたわけだが、当時はそれがいいと信じて実行していたのだ。しかも、ビタミンCの大量摂取も身体を冷やすらしく、まさに今正反対の”身体を温める”ことをしている私にとって、これまた自殺行為であった。知らないということは恐ろしい。そして目的が違うとまったくやり方も違ってくるという好事例だと思う。
テーマ:ガン治療
ジャンル:ヘルス・ダイエット
人工肛門に対する恐怖 はてなブックマークに追加
2006年01月27日 (金) | 編集 |
初診で「人工肛門」という言葉を聞き、早速ネットで直腸ガンに関するサイトを中心に調べまくった。すると私の想像していたものとぜんぜん違うものであることが判明。私は単純に自分の肛門が作り物になるだけのことだと思っていたのだが、実際はお腹のところに穴をあけて腸をくっつけ、そこにストーマというビニール袋みたいなものを取り付けて便を受ける・・・というものであった。そしてものすごく処理などに苦労するという話が書いてあった。書いてあることだけでも大変なことが分かるのだから、恐らく実際には書いてないような細かい苦労がもっともっとあるのであろう。現実、私のガン仲間のオストミー(=人工肛門保持者)は、自分が意識できないところでおならが出てしまうので、静かな場所に行くのが怖いと言っていた。エレベーターとかでもプーっと出てしまったりするし、大好きだった本屋も行けなくなったと言っていた。女性だからなおさらかわいそうだ。またこれは慣れるしかないのだが、ごはんを食べているときにニョロニョロ・・・と袋に出てくるのが分かったりするのはなんとも気持ち悪く、食欲減退だそうだ。確かにそうだろうなあ。というわけで、とにかくこの日からは人工肛門だけにはなりたくない!!!!!!!!!と、人工肛門に対する恐怖と闘う日々になったのであった。
肛門をいじめまくりのとほほな毎日 はてなブックマークに追加
2006年01月30日 (月) | 編集 |
大腸ガンはガンの中でもたちのいいガンです、もしガンになるのであれば私は大腸がんを選びます、とある本に書いてあった。それを読んで、とりあえず大腸がんでよかったあ、などと思っていたのだが、直腸ガンの場合は肛門近くにガンができるので、とにかく便が出なくなるのでそれがつらい。要するに腸管が狭くなっているので、便が細くしか出ないし、少しでも便が硬いとつまってしまう。今まで35年間快便だった私が、まさか便秘に悩むときがくるとは思わなかった。そして毎日が便との闘いであった。一日中口を開けば、うんちが出るとか出ないとか、そんな話ばかりしているのだから、いささか主人も嫌気がさしていたであろう。でもそんな私にもちゃんと主人はつきあって話を聞いてくれた。本当にありがとうね!

初診で「切れ痔がある」という診断を受けたので、1日3回座薬を入れなければならなかった。ただでさえ肛門が痛いのに、座薬を入れるのはつらかった。そして便が出ないので、浣腸も必要になってしまった。とにかく一日中、肛門に座薬や浣腸を入れ、まさに肛門をいじめまくりの毎日であった。とにかくお尻が痛くて痛くてたまらない!!
手術前の各種検査 はてなブックマークに追加
2006年02月09日 (木) | 編集 |
とにかく手術前はいろいろな検査が必要だ。私の場合直腸ガンということもあって、直腸の近くには子宮や膀胱やとにかくいろいろな臓器が至近距離にあるため、そっちへ浸潤していないかを見ておいたほうがいいということで、通常の検査にプラスして婦人科検診もやることになった。婦人科検診は痛かった。またもや大泣き。直腸MRというのは楽だった。よくTVとかでも見るやつで、大きな検査機器の中にずずーっと入っていくやつだ。自分はただ台の上で寝ていればいい。しかし、まさか検査前に痛い注射を打たれるとは思っていなかったので、それがショックだった。

検査の中での最大の難関は大腸内視鏡であった。1月17日の記事に、いかにアメリカでの内視鏡がつらかったかは書いてあるが、それがトラウマになっていたので、もう何週間も前からどきどきしていた。でもとにかくこれを通過しなければ先に進めない。もう一度大泣きするつもりで挑んだ。
しかし早速内視鏡検査を受ける前の下剤を飲む段階でつまずいた。アメリカでは自宅でまずーい下剤を飲んだが、量はさほどではなかった。10分間隔で3回に分けて飲むのだが、1回あたりに飲む量は250ccぐらいだったので、トータル30分間で750cc飲めばよかった。一方国立がんセンターでは、病院内の一室に机と椅子が所狭しと並べてあり、そこで患者さん15名ぐらいが一斉に2リットルの下剤を飲む。味はまずいポカリスエットのような感じで、思ったよりはまずくなかった。しかし普段からあまり水分を取り慣れていない私にとって、2リットルという量がものすごくつらかった。私がまだ500ccぐらいしか飲めていないのに、他の人たちは、みるみるうちに2リットルを飲み干し、次々にトイレに消えていく。腸がきれいになった人から順番に内視鏡検査を受けられるので、ある種競争みたいになっていた。私は一番最後になるのを覚悟でゆっくり飲んでいた。でもこれはあまりゆっくり飲んでもいけないらしい。一応1時間で2リットル飲んでくださいと言われた。とっくに1時間が経過したが、私はまだ1リットルしか飲めていなかった。もうだめだ、これ以上飲めない。でも検査をするからには、腸をきれいな状態にしておかないと検査の意味がない。とりあえずあともう少しだけ!と思ってがんばって500cc飲んだら、気持ち悪くて吐いてしまった。吐いたら下剤を追加されると聞いていたので、つらくて涙が出てきた。看護婦さんにとりあえず吐いてしまったことを伝え、でももうどうしてもこれ以上は気持ち悪くて飲めないということを伝えると、とりあえずもう飲まなくていいと言われ、ほっとした。もうこうなったらあとはなんとか検査に支障のない程度に腸がきれいになってくれていることを祈るしかない。

結局予想通り、私の検査は一番最後になった。朝の10時に病院へ集合、内視鏡検査を受けられたのは午後4時近くになっていた。もちろん前日から絶食状態だ。でももう絶食には慣れていたから、みんなが想像するほどはそれに関しては苦しくなかった。
さて最大の難関が近づいた。検査台に寝かされたとたん、私は半泣き状態。先生たちがびっくりして「どうしたの?」と聞いて来た。私はアメリカでのいきさつを説明(看護婦3人に押さえつけられた話)、とにかく麻酔を増やして痛くないようにして欲しい、ということを切々と訴えた。もちろん麻酔も普通より増やしてくれたようだが、それにしてもなんなのだ?このあまりの違いは??つまり、そんなに痛くないし苦しくないのだ。看護婦さんに押さえつけられるどころか、途中で足を組んでくださいという指示にもなんなく対応でき、無事検査は終了した。自称”日本で一番内視鏡の上手な先生”にやってもらったということもあるだろう。またこういう繊細な検査はやっぱり日本人のほうが合っているのかもしれない。とにかく最大の難関もこうしてなんとか無事終了した。

内視鏡のあとはすぐにCT検査をした。本来は内視鏡検査後ある程度休息しなければいけないようだが(そのためのリラクゼーションベッドが用意されている)、私の場合時間が押せ押せになっていたので、休息させてもらえなかった。CT検査もMR同様、台の上で寝ているだけのさほどつらくはない検査だが、ガンセンターの依頼で、最新機器で検査をして欲しいと言われ、このCTの場合は肛門から空気を入れられるので、お腹が張って苦しいというのがちょっとあった。あと、私の場合、かなり痩せてしまってお尻の肉が削げ落ちているため、検査台が硬いので骨が当たって痛くて、もうこれ以上我慢できない!というぐらいまでいった。まあこんな感じで検査もいろいろつらかったが、なんとかすべてこなし、あとは検査結果と手術日を待つだけとなった。
テーマ:ガン治療
ジャンル:ヘルス・ダイエット