西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています

ガンからのメッセージ はてなブックマークに追加
2007年07月09日 (月) | 編集 |
qyasai.jpg
<写真の説明>いつも無農薬野菜を下さる母の友人からの新鮮な野菜たち。おいしいきゅうりは味噌をつけてそのままカリッと食べるのが一番。甘くて超おいしかった!!!

7月4日付けの記事では時間がなくて書けなかった「ガンからのメッセージ」について今日は書きたいと思う。1年前にガンが発覚してから今日までの間、このブログにもガンから受け取ったメッセージをいろいろと書いたが、なんとなく私の中では、もしかしたらこれかもしくはあともう一つぐらいで最後かなという気がしている。そしてもしこれが最後であるならば、これをクリアーできればガンは完治するということであるのだが、逆に言えばそう簡単にガンが克服できるはずもないので、当然ながら私にとっては大きなハードルになる。しかしここ最近の一連の出来事によってまたいろいろ学んで成長できたので、これから飛び越えなければいけない巨大な10mぐらいあるハードルの、地面から1メートルぐらいのところまでは登れたかなという感じはしている。

さて今回のガンからのメッセージは何であるかというと、ボランティア精神である。17年ぶりの先輩との再会も、先日偶然にも見ることになったTV番組もそうだったが、最近の私の身の回りで起こるいろいろな事象の共通ワードがそれだからである。実はガンになる前から私は、ボランティア精神に欠けている自分がいやで、自分自身なぜそうなのか非常に理解に苦しんでいた。たいていのことはまっとうなもの(=世の中で良いとされるもの、善行)に対して理解を示し、実行してきた私だが、なぜかボランティアに関してだけは積極的になれない自分がいた。しかしそうなってしまったのはごく最近のことで、逆にそうなる前は街頭で募金を募っていれば必ず募金し、赤い羽根や緑の羽根なども必ずつけるような、どちらかというとボランティア精神溢れる人間であった。ところがいつからか、何をきっかけにそうなったのかはまったく記憶にないのだが、気がついたときにはあまり募金をしない人間になっていた。

これが直接の原因になったわけではないが、昔こんなことがあった。確か街頭で募金を募っていたときのことであるが、そのときは一箇所ではなく何箇所かに散らばって子供たちが募金をお願いしていた。当然私は募金をした。しかし数メートル歩くとまた他の子供たちにお願いされた。私はまた募金をした。でも私だってお金持ちではないから限界というものがある。よって3人目からは協力はしてあげられなかった。するとそのときに誰に言われたかは忘れたが、とにかく「なんだよー、してくれないのかよー、けち!」みたいなことを言われ、すごくがっかりしたのを覚えている。今から思えばそのように思うなんて甚だ情けないのだが、自分の限界を見た気がして、募金に協力することが馬鹿馬鹿しくなってしまったことを覚えている。

限界といえば、特にアメリカに住むようになってからあまりにもそういう機会がありすぎて疲れてしまったというのもあるかもしれない。アメリカでは町中のいたるところで募金を求められ、さらには子供たちが家に協力を求めて訪ねてくる。すべてにいい顔をしているととてもじゃないがお金が持たない。恐らくアメリカ人たちも同じ状況なので、そういうことに慣れている彼らは、自分の気に入ったものにだけ協力してうまくやっていっているのだろうが、不慣れな私はついどれにも協力してあげたいと思ってしまうものだから逆にパンクしてしまい、結局その結果がどれにも協力をしないという最悪な結果を招いてしまったのである。

しかしこれで私のボランティア精神が完全に消え去ったわけではない。ただ単に形が変わっただけというか、目標の設定が変わっただけというか、つまりはビッグプロジェクトに関心が移ったのである。要するに日々の募金への協力といった小さなボランティアに消極的になっただけであり、逆にやるなら大金持ちになってどかんと何かやりたいと思うようになったのである。私が日ごろお金持ちになったらやりたいとよく考えているのは、貧しい国々の人たちのために採算度外視で彼らに仕事を与えてお給料をあげて貧乏生活から救ってあげることとか、日本で不要になったパソコンや洋服やTVや自転車を集めて送ってあげる(しかもゴミを減らすことにもなるので一石二鳥)とかいうことである。

もちろんこういうビッグプロジェクトでボランティアをすることも非常に良い事である。しかしもっと重要なのは、一人ひとりの日々の小さな協力であると思うのである。それが頭では分かっているのに、最近の私は街頭で募金もしなくなってしまったし、世界中で自然災害が起こるたびに募金の協力が呼びかけられ、いくらでも日々の生活でボランティアできるチャンスはあるのに何もやっていない。
だから、そういう人間になってしまってからは、例えば24時間TVで貯金箱を持って武道館に行く人々や街頭で募金に協力をする人、ボランティア活動をしている人などを見るといたたまれない気持ちになる。特に私が尊敬するのは、もちろん著名人などが多額の寄付をすることもすごいとは思うが、それよりもごく普通の一般の人が、少ないお小遣いの中から一生懸命に協力している姿や、給料をもらって働くこともできるのにあえてボランティアで働く人の姿である。私の入院中も多くの方がボランティアで働いていた。私はいつもボランティアの方たちを見るたびに尊敬の眼差しで見ていた。そして恐らく私にはできないだろうと思っていた。

このように、とにかく最近の私はボランティアということに関して悶々としていたのだが、そんな私にまず最初に一筋の光を見せてくれたのが、先日のTV番組であった。フィリピンのごみ山で働く少女を取材した女優の酒井美紀が「私には何もしてあげられない」と言って涙を流していたのだが、私はそれを見て「違う!」と思った。しようと思ったらしてあげられるじゃん、て思った。恐らく彼女は「少女を貧乏生活から救ってあげられない」という意味でそう言ったのだと思うが、確かに少女を完全に救ってあげることはできないかもしれない。残念ながらそれだけの力は私にも彼女にもない。しかしほんの少しのことであれば少女にしてあげられることはたくさんあるはずだ。例えば1万円あれば2、3ヶ月分の食事代ぐらいになるだろうし、病気のお母さんの薬代の足しになるのであり、1万円ぐらいであればなんとか捻出できる金額である。

ちょうどTV番組を見てボランティアについて考えさせられていた矢先に、先輩との再会があった。先輩はボランティアで外国人に日本語を教えていた。そして先輩には、何も労働の対価はお金だけではないということを教えてもらった。先輩はこのボランティアを通じて彼らからいろいろなことを学んでいるのだそうだ。そして先輩の場合は労働の対価として知識や情報を得ているのだと思うが、例えば前述の病院のボランティアの方々の場合は、もしかしたら私たち入院患者からの感謝の気持ちや喜ばれているという充実感からやっているのかもしれない。

というわけで、私がTV番組を通じて学んだのは、何も大金持ちにならなくてもその前にいくらでもできることはたくさんあるということであった。悶々としていたときの私はまさに酒井美紀と同じであった。ALL OR NOTHINGでしか考えていなくて、少しだけ協力する、一部分だけ協力するということをしようとしていなかった。
さっきも書いたが、ボランティアをしようと思ったら日々いくらでも周りにそれができる機会がある。自然災害が起こればすぐに募金のための口座が設置され、お金の協力もできるし労働での協力も簡単にできるようになっている。何も貯金箱を持って武道館までわざわざ行かなくても、今の時代は自宅にいながらにしてインターネットで振込もできるし、電話をかけて募金することもできる。

確かに必要とするもの全部に協力をすることは不可能である。しかし自分に余裕があるとき、あるいはこれと思ったものがあるときに、即実行に移すことが重要だと思った。例えばアメリカン航空の飛行機に乗ると、食事と一緒にユニセフの封筒を渡されることがある。そんなときたった1ドルでもいい、できる範囲で一人ひとりが協力することが重要なのだと思った。なぜならもし500人乗りのジャンボジェット機で全員が1ドル協力してくれたら、たった1回のフライトで500ドル集まるのである。聞けば、中国の貧しい農村では100ドルあれば一人の子供が1年間学校に通えるというではないか。そう考えると、私たちにとってはたったの1ドルでも、そのたった1ドルの協力が持つ力というのは恐ろしく大きいものなのである。

まだ労働でのボランティアをしようという気にはなれていないので、完全に悶々とした気持ちが吹っ切れたわけではないが、とりあえず募金の協力においては、また昔のようにやれる気がしてきた。だからそういう意味で1mぐらいは登れたかなと感じている今日この頃なのである。恐らくこのテーマはまたいろいろな方からご意見がもらえそうなので、それによって労働でのボランティアについても積極的になれるようになることを期待したい。
関連記事
テーマ:ガン治療
ジャンル:ヘルス・ダイエット
コメント
この記事へのコメント
お金やもののことばかり書いているけど、それがすべてじゃないよ。
例えば気の毒な人を見たら、その人の幸せを祈るだけでもいいのです。
その意識が現実を引き寄せることにつながるのだから。
2007/07/10(Tue) 01:13 | URL  | 匿名希望 #RsdfxmUU[ 編集]
街頭募金
街頭募金などは、どこに金が行くのかわからないときがあるので(例えばカルト宗教の団体に行っている可能性もあるので)しませんが、国境無き医師団には毎月銀行引き落としで寄付しています。銀行引き落とし、楽ですよ。
2007/07/10(Tue) 02:16 | URL  | 佐藤 #SFo5/nok[ 編集]
お金持ちになったら、貧しい人に仕事を与えて、給料をあげて・・・。
なんだか、上から目線な表現だし、自己満足で、幼稚な考えですね。
労働の対価がお金だけだと思っていた人が考えそうなことですね。

テレビ番組にしても、あの場で酒井さんがお金を渡したら、その後どういう展開になるか、分別ある大人なら想像できそうなものですが・・・。
何事も、お金でしか考えられないのでしょうか?

アメリカにいたにも関わらず、ボランティア精神への理解・認識が全然なっていないんですね。
「誰かやってくれる人?」そういう時にも使いますよね、“volunteer”って。
ユニセフなら、募金以外にも気に入った柄のハガキやカードなどを買うことで協力できます。
“いくらのお金があれば、こういうことができる”っていうのは、募る側がお願いする側に分かりやすい目安として提示しているにすぎません。
協力する側が金勘定するのは、根本的に勘違いしているように見えます。
手話では、ボランティアを「共に歩く人」って表現するそうです。
どういう意味か、分かりますか?

あなたの書く文を読んでいると、経済的には豊かもしれませんが、心の貧しさを感じてしまい、時々気の毒になります。
まず、ボランティアは何かを“してあげる”ことだっていう凝り固まった考えを改めてほしいです。
2007/07/10(Tue) 02:51 | URL  | かんな #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/07/10(Tue) 09:32 |   |  #[ 編集]
今日のみづきさんをみて、とても心が優しい人だと感じました。何をしようか、まず気持ちからですね。憂鬱な天気だけどひかりが見えてきたような透かすか気持ちになりました。
2007/07/10(Tue) 10:01 | URL  | ユッカ #-[ 編集]
進んで何かをやる人
ボランティアとはそもそも志願兵のことですから、かんなさんのおっしゃる通り、「誰かやってくれる人?(ボランティアいませんか)」と志願者を募りますね。

その意味で言えば、みづきさんはすでに、いっぱいボランティアをしています。このブログや掲示板を立ち上げて、さまざまな情報を提供し、思いを吐露し、私たちに考えるヒント(「そうじゃない!」と反論することも含めて)や反省材料を与えてくれています。金銭的な対価など求めていませんよね。

街頭での募金活動中に、寄付しない人に「けち」とのたまうガキ(失礼!)には、ボランティア精神のかけらもありません。親はせっかくの教育の機会を無駄なものにしてしまっています。だから(それだけが理由ではありませんが)、私も佐藤さんと同様、街頭では寄付しません。

「気の毒な人を見たら、その人の幸せを祈るだけでもいい」と、匿名希望さん。私も同感です。
2007/07/10(Tue) 10:03 | URL  | こいけ #xYHCu5YM[ 編集]
昨年のノーベル平和賞は、バングラデシュの『貧民の銀行』と言われる、グラミン銀行と、創設者のムハマド・ユヌス氏ですね。
この方、少し前に来日してましたね。
貧民へのお金の貸し付けの条件に、たしか、その貸し付けが貧しさから抜け出すのに繋がる事、が有ったと思います(詳しくは知りませんが)。

一個人が一家族に少しばかりお金を恵んであげても、解決はできないですよね。その家族だけのその場しのぎでしかない。。
日本に居て私が思ったのは、その場しのぎではなく、やはり、根本、です。

病気と似てますよね?
その場しのぎの薬より、根治を目指せ!って。
本人にしてみれば、今有る痛みをなんとかしたい!ではあるのでしょうけれども。
たとえ話です。。

2007/07/10(Tue) 11:00 | URL  | yas #Nc2AnN8g[ 編集]
 私自身の実体験を書きます。
 
 私は幼い頃に、相次いで両親を亡くし、親戚の家に預けられて育ちました。
 ある年のお正月、普段生活している親戚とは別の、遠方の親戚の家に数週間預けられる事になりました。
 訪れてみれば、お正月とあって、その遠方の親戚の家には沢山の人が集まっていました。
 そして、その人達が私に対して(何と不憫な)という態度で沢山のお年玉をくれました。
 初めて会うような、しかもものすごく遠縁の人までが、まわりの大人から「この子はこういう身の上だから・・・」という話を聞いて、私に大金をくれたりしました。
 数週間後、○万円という大金を持って、元々生活している親戚の家に帰ると、
「子供がそんな大金を持っていてはいけない」
 という理由で、全額没収され、結局そのお金がどうなったのかはわかりません。

 この話をどう感じますか?

 その親戚が、面倒を見ているというなら、お金は間接的、例えば食事や衣類や学費として使われたのだろうから、有意義だったと思われるかもしれません。ただ、その確証はどこにもなく、悪く考えると、私には一銭も使われず、別の事に流用されていた可能性もゼロではありません。
 その出来事から30年近く経った現在、私の心にこのことは「非常に悲しかった出来事」としてしか残っていません。悲しい記憶として残るくらいなら、初めから大金などもらわなければ良かったと大人になった今では思っているほどです。
 
 先日のそのテレビ番組も、私のような者から見ると、非常に不愉快なものでした。
 可愛そうな子供を見て、胸を痛める、何とかならないのかと考える、何かを与える。これは確かに大切な事ですが、一歩間違うと「偽善」と呼ばれる行為になってしまいがちです。
 私にはその番組が偽善的に見えてしまい、耐えきれずに途中で消してしまいました。
 ただこれは、私が人と違う環境に育ったためそう感じただけで、多くの人は偽善だなどとは感じないでしょうし、偽善か否かという答えを出す必要もないと思います。
 ただ、人に何かを施す時「○○してやった」という自己満足に終わってしまい、最終的には「ああ可哀想、でも私は恵まれていて良かった」という考えに落ち着いてしまうのでは、何の解決にもならないばかりか、逆にその人を不幸で惨めな気持ちさせてしまう可能性もあるという事です。

 私も上手く表現出来ませんが「これから飛び越えなければいけない巨大な10mぐらいあるハードルの、地面から1メートルぐらいのところ」とみずきさん自信が仰っているので、さらなる飛躍をされる事をお祈りすると同時に、私の話も何かの参考にして頂ければと思います。

 誰かが言ってた、
「真の善行というものは、誰にも知られずに行うものである」
 という言葉が、私には真実に思えます。
2007/07/10(Tue) 13:51 | URL  | tarariko #JRdARgdU[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/07/10(Tue) 16:29 |   |  #[ 編集]
一つの箱に募金したけれど、全部の箱にしなくちゃ悪い様な気がして結局街頭募金から遠ざかってしまったという、みづきさんの体験、私にも経験あります。
 学生時代、あしなが奨学金募金に協力して、街頭に立ったことがありますが、よびかけ側としては、立ち止まり一円でも入れて下さる人がいれば、すっごく嬉しいんですよね。みづきさんのブログに出てきた子供は例外ですよ。(^^)
 もし、(怪しい団体でない所に)街頭募金をするならば、一つの箱に入れて、あとの箱は「みんなが幸せになりますように」と念じながら通り過ぎれば良いのではないでしょうか。
最初のコメントの方も書いていらっしゃいましたが、「意識や祈りは波動になって、何らかの形で現実化する」ということを、私も信じたいと思います。

我家の子供は、医療費もほとんどかからずに育ったので、感謝の気持ちと何かどこかに還元できないものかと、国境なき医師団に、わずかですが引き落としの寄付をしています。ニュースレターが時々送られてくるので、紛争や災害地の人々の現状とそこでの活動を知ることが出来、日常生活のごたごたにまみれてる自分が、その瞬間だけは、そちらの世界に思いをめぐらします。
 確かにtararikoさんのおっしゃるように、
「ああ、可哀想。でも私は恵まれていて良かった」という気持ちもどこかにあると思いますが、たまたま恵まれた地域に生まれただけのことであり、「どうか、負の部分を背負ってくれているこの人たちも幸せになりますように」と願いたいです。こんなアホな私たち(家族)でも、どこかでちょっとは誰かの役にたっているかもしれないし。と思えるのも嬉しいことです。

 直接、人を援助する場合は、本当に難しいですね。tararikoさんのコメントを読んで思いました。


2007/07/10(Tue) 16:30 | URL  | サポーター #-[ 編集]
私はその番組を見ませんでしたが、
女優の酒井美紀さんが「私には何もしてあげられない」と言った
言葉の意味はわかるような気がします。
たしかに1万円を差し出せば目の前の少女の役に立てるかもしれない。
でも、それはほんのひとときのことで、
彼女のこれからの人生を救えるほどのことではなく、
その他おおぜいの子供たちはどうすればいいの?という、
大きな大きな問題を目の前にした絶望感から出た言葉ではないでしょうか。

だからこそ、ボランティアは各々のできる範囲で地道に続けることが大切で、
また、「してあげる」という意識は相手に対して大変失礼です。

私もボランティア精神は旺盛なほうではないので
偉そうなことは言えませんが、
無理矢理湧いて出てくる気持ちではないし、
無理すれば驕りやお仕着せになりそうなので、
自分のできる範囲で役に立てればと思っています。

tararikoさんの書いていた
「真の善行というものは、誰にも知られずに行うものである」に同感です。
毎日の生活の中でできることを少しずつ何かをしていきましょう。
2007/07/10(Tue) 18:37 | URL  | むぎ #-[ 編集]
「労働の対価」
みづきのブログに登場した「17年ぶりの先輩」です。
私のボランティアの目的は、単に人の役に立ちたいからです。夫の妻という役割以外に自分の存在価値を求めていた時、助けを必要とする人たちに働きかけ、喜んでもらえれば充足感を得られるかなと思ったのです。他人ありきで、依存心の強い自分に悩むこともありますが、人は支え合い、学び合うのが人生、と思っています。
ボランティアは、所詮、自己満足じゃない、という人もいますが、押し付けで無く、「○○してあげてる」という、上からものをみた姿勢でもなければそれでもいいのかな、という気がしています。自分も得ているものがあることに感謝すればいいのだ、と。
実際、日本在住の外国人と接して、異文化の「知識や情報」を得ることもありますが、「労働の対価」という意識は無いです。
それよりも嬉しいのは、例えば、今まで言えなかったことが言えるようになった時に見せてくれる満足気な顔です。若い留学生から人生の目標を聞けば、勇気とエネルギーをもらえます。また、先生と生徒という枠を超えて、友人になった人も何人もいます。これらは、日本語の支援を始める前には、得られるとは思ってもいなかった大きな財産です。

それから募金の件。街頭の募金は、得体の知れないのが多いので滅多にせず、振り込みます。また、募金はできる時に、できる額だけすればいいと思います。何箇所にも分かれて募金を募っている人たち全員の期待に答えられなくて当然です。私も素通りすることにちょっと引け目を感じることはありますが、他の場所で既に寄付していれば、気にしないことです。

2007/07/10(Tue) 18:41 | URL  | けちょ #-[ 編集]
かんなさんへ
あなたの書いたこの多くの行が、とても一方的です。ご自身で確かめてください。

「自己満足で、幼稚な考えですね。
分別ある大人なら想像できそうなものですが・・・。理解・認識が全然なっていないんですね。根本的に勘違いしているように見えます。
どういう意味か、分かりますか?
心の貧しさを感じてしまい、時々気の毒になります。
凝り固まった考えを改めてほしいです。」

こんなに不満があるあなたの方が、可笑しく思えます。
あなたの書いたこの文がどれだけ人を不快にするかよく自分で読んで考えたほうがよいですよ。
意見が違うのは仕方がないですが、
周りや家族にも言われていると思いますが思いやりがなく、自分勝手で周りとのコミュニケーション障害にご自分でも気づいていると思います。
みづきさんの6日の記事をヒントにトライしてみて下さい。
2007/07/10(Tue) 23:35 | URL  | とも #-[ 編集]
ともさんへ

> 周りや家族にも言われていると思いますが思いやりがなく、自分勝手で周りとのコミュニケーション障害にご自分でも気づいていると思います。

あなたの文章こそものすごく不快です。何を根拠に書かれているのでしょうか。どうして、みづきさんにちょっとでも批判的なことを書くと、こういう人が出てくるのでしょうね。
2007/07/11(Wed) 00:25 | URL  | 通りすがり #-[ 編集]
確かにちょっとともさんの言い方も行き過ぎた感じはありますが、でも別にみづきさんを批判したから書いているのではないですよ。かんなさんの書き方の問題を言っているのです。その証拠にみづきさんがかわいそうです的な、みづきさんを援護する言葉は一切書いていないです。読んでいる人を不快にさせることを言っているのです。
実際私も読んでいて非常に不快になりましたし、かんなさんこそ根本的に勘違いをしていると思いました。かんなさんは「あの場で酒井さんがお金を渡したら」と言ってますが、みづきさんは一言もそんなことを書いてませんし、それこそ分別のある大人のみづきさんがそんなことをするはずないと思いませんか?それを勝手にそうだと決め付けて勘違いして批判するほうがどうかと思います。
2007/07/11(Wed) 14:31 | URL  | espon #-[ 編集]
esponさんへ

しかしほんの少しのことであれば少女にしてあげられることはたくさんあるはずだ。例えば1万円あれば2、3ヶ月分の食事代ぐらいになるだろうし、病気のお母さんの薬代の足しになるのであり、1万円ぐらいであればなんとか捻出できる金額である。

この文は1万円くらいならあげれるだろうという意味に受け取れますが、違うのでしょうか?

もし、読み違いでしたら失礼しました。
2007/07/11(Wed) 14:47 | URL  | 匿名希望 #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/07/11(Wed) 15:32 |   |  #[ 編集]
ともさん espon さんへ
私は、かんなさんの言っている事、読んでいて不快になんてなりませんでしたし、言いたい事わかる気がします。

私は大学時代、何ヶ国か海外旅行に行ったとき、感じたことがあります。
主にタイやベトナムで、小さい子供たちが私達海外旅行者にお金を求めて寄ってくるのです。
かなりしつこくまとわり着いてきます。
そこで、少しのお金を渡すことは簡単に出来ます。
でも、私はとても考えさせられました。
簡単にお金を渡すことで、解決するものではないですよね。
子供たちは何人も お金を求めています。
全員に渡すなんてとても出来ませんし、そこで求めてくる子供達だけじゃなくもっとたくさんの人が、貧困にこまっているでしょう。
私が彼らに”直接渡す”、というのにも何かどうしても納得できないものがあります。
それに、そのように海外旅行などの外国人からお金をもらう事によって、働けるのにそれに頼って働かなくなってしまったという、地域があることも聞いたことがあります。
こういったことを、一緒に旅行に行った友人ともよく話し合ったりしました。
が、結局、こうすべきとか、こうするのが一番いい、という答えはいまだに出ないでいます。

結局何を言いたいのか、きっと伝わらなかったですよね。文章が下手で申し訳ありません。
きっと私も、かんなさんと同じく(かどうかわかりませんが)、”一万円その場で渡すことはできるはず” という部分に ちょっと引っかかってしまいまいました。(だからと言って、別にその考えを否定するつもりももちろんありません。)

ただ、かんなさんの言ってる意見に みんなが不快に思うということは無いんじゃないかな、と思って書かせていただきました。

失礼いたしました。
2007/07/11(Wed) 19:37 | URL  | Ain #-[ 編集]
ボランティア、難しいですね。
あの番組、見ました。
育ち盛りの子供がご飯を食べられないなんて
本当に胸をしめつけられました。

これは私の想像ですが
あの女の子に1万円をあげたらきっと何かが
狂っちゃうよう様な気がしますね。
(多分多すぎて、そして使い切ったときには
今よりきついことにならないかな)
きっと必要なのは
降ってわいたようなお金じゃなくて
まずは3度の食事、お母さんの薬、・・などと
今より段々良くなる事じゃないかな・・。
やはり政府の援助のような気がします。
幼い子供が食事もできず学校にも行けなくて
ゴミの山で働く事を容認していることが問題ですよね。(詳しいことはわからないのでずれてたら
ごめんなさい)そのルートで何か出来る事はあるのかな?・・なんてことを考えました。

あと、ボランティアって
一番は自分の時間を助けを必要にしている人のために使う、という認識です。
出来る範囲でね。それが出来ない時はお金を・・
でも勿論良いし・・。
皆さんの考え方とても参考になりました。
自分、自分!の世の中どんなことからでも
気に留めることから始まりますよね。
2007/07/11(Wed) 21:03 | URL  | くるまえび #-[ 編集]
みなさま、初めまして。

かんなさんのコメントについてあれこれにぎわってるけど、あたしも全然不快になんて思わなかったわ。それどころか、いちいち頷きながら読んじゃったわよ!
だって、貧しい人にお仕事与えて(あー、この表現イヤだわ)、お給料あげても、根本的な解決にならないじゃない。本当に大事なのは、彼ら・彼女らが自立して自活できるようになることでしょ。求められるのは、そのためのサポートでしょ。

Ainさんが書かれていたけど、あたしも海外で何度も子どもにお金をねだられたわ。すごく切ないわよね。でも、現地のガイドさんに「あの子たちのことを思うなら、お金はあげないでください」って言われたわ。今日の小銭より、あの子たちが今後も生きていくためのサポートが必要なのよ。そのお金が施しではなくお仕事の対価だとしても、将来に繋がらなきゃ意味ないの。

そういう提唱は、バラエティしか見てないおバカなあたしの目や耳にも届いてるんだから、きっと一般常識なんじゃないかしら。万一みづきさんに届いてないとしても、聡明なみづきさんならそこまで考えて然るべきだし、本当に相手のことを思っていれば、その場しのぎの短絡的な考えはしないはずよ。
なのに、ああいうこと書いちゃうんだもの、「自己満足」「幼稚」って言われても仕方ないじゃない。

yasさんが書かれた病気の例えはとても分かりやすかったわ。何事も上っ面だけ取り繕ってもダメなのよ。

かんなさんの書き方はハッキリし過ぎかも知れないけど、オブラートに包んだ表現じゃ、みづきさんには通じないと思ったんでしょう。それは以前にも指摘されて、みづきさんも自覚されてるはずよね。

今回はお金の話に終始してて、心が貧しいっていうより殺伐としたものを感じたわ。なんか、潤いがないっていうのかしら。それが読み手の気持ちをザラつかせるのね、きっと。でも、それは今回に限ったことじゃないのよね。

だから、かんなさん!
あんまり期待して読んじゃダメよ。

それと、ともさん!
不快に感じるかどうかは各人の感性にもよるけど、あなたの書いたことは明らかに誹謗中傷よ。訴えられたら負けるわよ。気をつけなさい。

なんだか長くなっちゃったから、このへんで止めておくわ。
長文ごめんなさい。
2007/07/12(Thu) 00:57 | URL  | ぴぃ #-[ 編集]
間違ったことを書いているので一言。
ともさんの書き込みのついてですが、どこにも
誹謗中傷と認定出来るような表現はありませんね。
この程度では誹謗中傷として認められないでしょう。
これで誹謗中傷というならかんなさんの発言も誹謗中傷になってしましますから。
それと1つ。
相手を黙らせたり威嚇するような目的で「訴訟話」をちらつかせるのは逆に「脅迫罪」となる場合もある、ということを憶えておきましょう。

矛盾しているようですが、私はみずきさんの意見もなるほどと思いましたしかんなさんの意見もそうよねぇ~と頷く部分がありました。

だいたい他人の心の貧しさを偉そうに指摘出来るようなタマじゃないでしょ(笑)

いい加減大人なんですから訴えるだの何だのやめませんか?
余程頭に血が上ったのかしらね(笑)
どこのババアか知らないけど恥を知りなさい。
2007/07/12(Thu) 07:03 | URL  | 栢原牛恵 #-[ 編集]
通りすがりさん、esponさん、Ain#-さん、くるまえびさん、ぴぃ#-さん、ありがとうございます。
考えがちがってもコメントの表現や繋がりや温かさが伝わります。
不快に思われた方ごめんなさい。
放っておかず交差するのはいいことだなと思うのです。
 
esponさん、意見ではなく書き方の問題のこととわかって貰えてうれしいです。ありがとう。v-274
ぴぃ#-さん、ブログがありましたら是非拝見したくなりました。v-275
みづきさん、にくめないです。v-10
かんなさん、また何かのコメントで拝見できればと思います。v-22
2007/07/12(Thu) 07:16 | URL  | とも #-[ 編集]
投稿後、 栢原牛恵 さんのコメント拝見しました。
前の中に一緒に書き込めなくてすみません。
稟とした意見ありがとうございます。へこんでいた私には善の意見に思えますが、救われましたが、ババァは駄目です。きらいじゃないです。皆様。私のお願いになりますが、全ての意見で相互に向上、発展したと思えるので、ここらへんで終了何卒よろしくお願い致します。
しかし、今回ご参加いただいた全ての方とお友達になりたいす。個性的ですきです。
 とも
2007/07/12(Thu) 08:02 | URL  | とも #-[ 編集]
世界平和を叫び、世界的に平和活動をしていている人が、しょっちゅう奥さんとけんかしたり、まわりと揉め事を起こしていては、ほんとの平和活動ではありません。

というような話を、気功の先生からお聞きしたことがあります。
「何事も自分のまわりから」なのでしょうね。
根本的な解決を願うのなら、遠い様でも自分の周りから一歩ずつ。その積み重ねが巡り巡って、フィリピンのゴミの山やアフリカの紛争地帯へつながっていくような気がします。
出来ることは、ひとそれぞれ違うかもしれませんが。マザー・テレサのような方もいらっしゃるかもしれませんが、周りのひとににっこりするだけでも良いし、古切手集めや、募金や・・できることを出来るときに。そして、まずは自分を大切にし身近な家族と平和に過ごし(これが一番難しい^^;)、
周りの人々に思いを馳せて行く・・・。

えらそうなことを書きましたが(私は家族とけんかばっかりしているし、自己中だし)、みづきさんや、みなさんのコメントを読んで、そのどれもに考えさせられ、自戒の意を込めて書きました。
2007/07/12(Thu) 08:43 | URL  | サポーター #-[ 編集]
こんにちは。私にも、みなさんと共通する経験があります。アフリカに2年住んでいたのですが、最初のうちはお金をくださいと言われれば渡してばかり。次第にそれがいやになってというか、むなしくなって・・というパターンでした。
 その後、おなじアフリカ人でも、比較的よい仕事についている高い教育をうけた人と知り合いました。彼は、裕福な家庭に生まれたわけではなく、家族がみな聖職者で、本人の努力でいまのステイタスを得たというような人でした。その人が、いつも言っていたのです。「お金をせがまれて、あげるのは簡単、あげないのも簡単だよ。それは立場が逆転すれば、かれらにもできることだよね。誰にでもできることなんだ。だけど、本当にかれらを助けたかったら、その前に考えてほしいことがある。
僕があなたにしてほしいのは、ただお金を上げることではない。多くの子どもたちは、外国人からお金をもらうことになれると、自分で努力することをやめてしまう。それでは、いつまでも彼らの状況は変わらないんだ。そこが問題なのだ。もちろんお金は大切だけれど、あなただっていつでもお金を上げられるわけではないでしょう。ただ、大切なのはお金よりも、子どもの話に耳を傾け、お金よりいいプレゼントはないのか、そのたびに考えるということだよ。たとえば、とりあえず食べ物がある子どもなら、本をあげる、ノートをあげる、鉛筆をあげる。やる気になるようなものをあげてほしいんだ。靴がこわれたからお金をくれといわれたら、いい靴紐をあげるだけでもいいことがあるんだ。お金しかあげられるものがないときは、必ず一言、言葉をかけてほしい。その言葉というのは、子どもが長く覚えている言葉、つらいときに励みになる言葉、自分の力で生きようと思える言葉のことだ。あなたの心がほんとうに目の前にいる子どもを支援したいと思うときに、心の中から自然に出てくる言葉でいいんだよ」
彼は残念ながら、すでになくなったのですが、私は彼の言葉に、自分の小ささを思い非常に恥ずかしい気持ちになったことを覚えています。
2007/07/12(Thu) 09:16 | URL  | しふりん #-[ 編集]
下品な言葉が飛び交っているブログを見てうんざりする方が多いのでは?
うんざりしてもう、ここには来たくないなと思ってしまう人がいるとしたら、それはみづきさんにとって一番かわいそうな事なのではと思います。
みづきさんも以前からお気づきと思いますが、頑強にみづきさんの擁護に回ろうという方に非常に下品で醜い言葉を使う方々が見られます。
闘病中のみづきさんにとっては酷かもしれませんが、みづきさんから「私をかばおうとしてくれるのは、ありがたいけれど下品な言葉は使わないで」と言わないと、これからもずっと、この状態が続くように思えてしまいます。
ちょっとキツイ表現もあったかもしれませんが、現金をその場で渡しても将来には繋がらないよ、最悪の場合は人間を堕落させてしまう可能性もあるよ という意見は非難されるようなものとは思えません。
みづきさんも、その場しのぎの1万円と分かっていても何もせずにはいられないという気持ちだったのかもしれませけどね。
2007/07/12(Thu) 11:31 | URL  | 匿名希望 #-[ 編集]
匿名希望さま、わたしの発言がどうも軽率だったみたいです。わかりにくくて、すみません。
お金が人を堕落させることがあるのはもちろんですが、でも、お金をあげることを問題視するつもりはなかったのです。
私の友人の話は、「現地で直接人にお金を要求されたときにどうあるべきか」という話です。そのときには、まずお金以外にもできることを考えて欲しいんだと。でも、日本で生活する中でできることは、おのずと異なってきます。そういう場合、お金は大切でしょう。誰もそれを否定できないと思います。でも、お金をあげても問題が解決しないと考えると、むなしい。そのときにお金を寄付するのは偽善なのかどうかみたいなことが論じあわれていますよね。そこには、どうしようもない社会の矛盾とか、個人で解決できないものが含まれていて、だからこそ私たちにも統一の回答がみつからないわけですよね。私は、そこに答えを持っているわけでもありません。
私もみなさんと同じように悩みます。
ただ思ったのは、私たちにできるもっとも簡単な支援の方法は、お金を払うことと、もうひとつは、もう一歩その使われ方や使う人のことに思いをはせ、お金の使われ方にもきちんと目を配る(といっても、現場にいけるわけではありませんから、しっかりした機関や団体や個人を選択する、ということです)、そういう意識を持つことなんだろうなとは思います。地球の裏側の人たちの生活向上のために、本当の意味でがんばっている日本の人たちの活動を支援する必要性です。
もちろんお金以外でも、できることはほんとうにいろいろあると思います。不必要なぜいたくを少しがまんするとか、ガソリンを無駄遣いしないとか、そういうことだっていいと私は思うのです。

2007/07/12(Thu) 14:30 | URL  | しふりん #-[ 編集]
みづきさん、こんにちは。

トピックとは違いますが、
アメリカでこの様な臨床実験しているようです。
ご存知かもしれません。ご参考まで。

http://cancernavi.n
ikkeibp.co.jp/news/post_486.html
2007/07/12(Thu) 15:13 | URL  | orie #-[ 編集]
しふりん  さんへ

私はしふりんさんの意見に対してのコメントを書いたのではありません。誤解をされたくありません。

私が主に言いたかったのは下品な言葉を使うのをやめてほしいという事です。みづきさんがそれを正すしかどうにもならい気がするという事です。

又、募金(寄付)をする事の是非に関しては一切書いていません。よく読んでほしいです。中立の立場です。
2007/07/12(Thu) 17:08 | URL  | 匿名希望 #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/07/12(Thu) 19:47 |   |  #[ 編集]
こんばんは

皆、異なった道を歩んできて
感じていることなのでそれぞれ違うし・・

例えばボランティアについても
最近興味を持ち始めた人と、その世界で活動している人や、精通している人では根っこは同じでも意見が違うのって当たり前ですよね。
それについていきなりダメだしじゃなくて
まずは”なるほどね・・”ではないでしょうか・・
そして次に”こういうマイナスな面があるよ!・・”
と、詳しい人は教えてもらいたい。
相手を尊重しながら自分の意見を言うことがいいと思います。

どっちが正しいか勝負してるみたい(そんな気は
ないと思うけど)なのは、ちょっと辛い。
・・・・そんなことを思いました。





2007/07/12(Thu) 20:47 | URL  | 匿名希望 #-[ 編集]
みづきさん、こんばんは。偶然、このブログに辿り着きました。
闘病生活をしながら、ブログを続けるって大変なことだと思います。私は、みづきさんから沢山力をいただいています。これからも頑張ってくださいネ。

ところで、ボランティアのことで議論になっていますが、これはどこかに答えがあるという問題ではないですよね。
というより・・世の中のほとんどの問題はAかBかで割り切れるものではなく・・
また、例えひとつの問題が解決されても、違う次元の問題が生じるため、どんなに頑張っても世界で起こる問題の全てが解決される日がやってくるものでもないのだと思っています。

恐らくみづきさんも、そんなことは先刻承知で、逆に達観されたが故に「自分の力ではどうにもならないのだし」と合理的に考えるようになり・・いつしか募金に意味を見出さなくなっていた。

でも、あるTVを見て、忘れていた気持ち「できることを、できる範囲でする」ということそのものに意味があり、僅かながらでも変えることができることがあること。他へ向ける気持ちそのものの大切さを伝えたいがためにこれを書いたのではないかと感じました。
だから、幾人かの方が指摘する、お金のことを伝えたかったのではないのだと思います。

我々はもともと動物であり自然の一部・・というのが私の思想の根にあります。動物は善良なように思えるけれど、実は善でも悪でもなくて、ただ本能に従ってひたむきに生き、命をつなげるためにベストを尽くしているのが気高く美しく見えるのだと思います。

人間は、賢くなったが故に、本能だけでは解決できないような問題に直面していますよね。全世界で20%の人口が80%の食糧を消費しているのもそのひとつだと思います。でも20%の人は既得権益を捨てたりはしたくない。それは傲慢のように思えるけれど、本能であり、少なくとも過半数以上の方の本音だし実際そのように生きているのだと思います。でも、それでいいのか?と考えるのが良心とか倫理感とかいわれるものではないでしょうか。
ボランティア精神は初めから備わっていたものではなくて、心かお金か時間かのいずれかに余裕がないとできない後天的な精神活動だと思います。だから、はじめは少々偽善的であっても上から目線になっても仕方ないと思うのです。それよりも、その部分にあまりとらわれず、多くの人が少しずつ考え方を変えていくこと、小さなことを始めることに意味があるのだと考えています。その意味で私はみづきさんのブログには沢山考えさせられました。そして、それは既にボランティア精神を広めているように感じました。長くなり失礼いたしました。


2007/07/12(Thu) 21:24 | URL  | カオリ #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/07/13(Fri) 02:35 |   |  #[ 編集]
あら、ともさん!
素直なお返事うれしいわ。
残念ながら、あたしはブログやってないの。世の中に発信するようなネタなんて持ってないし。でも、あたしにちょっとでも興味持っていただけてうれしいわ。ありがとう。

栢原牛恵さん!
「恥を知りなさい」って言われても、あたしって厚顔無恥だから、ご期待にそえそうにないわ。
あんまりイライラすると、お肌に悪いわよ。

匿名希望さん!(2007/07/12(Thu) 11:31)
あたしも、ここから去っちゃう人が出ることが心配なの。
いつだったかしら、うー爺さんが「贔屓の引き倒し」って諭してくださったばかりなのにね。
なんか最近、反論意見が少なくなっているような気がするんだけど、気のせいかしら。

キツイ言い方になるけど、今回に限らず、下品な攻撃やヒステリックな擁護がなくならないのは、野放しにしているみづきさんにも原因があるんじゃないかしら。
みづきさんのブログだから外野があれこれ言う問題じゃないけど、本当に成長したいなら考えた方がいいと思うわよ。
2007/07/13(Fri) 20:59 | URL  | ぴぃ #-[ 編集]
みずきさんのブログを読んでいつもはげまされています。他のコメントにもあるけれど、みずきさんはブログを書くことでボランティア活動をしているとおもいますよ。特に肩肘張って何か特別なことをしなくてもいいんじゃないかと。もちろんしたければすればいいんですけどね。これからもがんばってくださいね。
2007/07/13(Fri) 21:39 | URL  | 匿名希望 #-[ 編集]
みづきさん、痛みや恐怖と闘いつつ、ボランティアに関して思いを馳せるだけでもすごいなーと、本当に尊敬しています。いつでも、応援していますよ!
2007/07/13(Fri) 23:16 | URL  | ちえ #-[ 編集]
コメントを投稿
コメントの受付は終了しました
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可