西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています

病気にならない人に対する説明がない(本編) はてなブックマークに追加
2007年01月03日 (水) | 編集 |
昨日の告知どおり、今日は午前中にブログを書いてしまおうと思う。8時15分に痛みで目が覚め起床、急いでりんごを剥いて軽く空腹を満たした後8時45分にボルタレンを服用(本当はボルタレンの服用時間は9時なので15分前倒し)、9時半ごろにようやく効いてきた。昨日寝るときから今日の目標はこのタイトルでブログを書くぞ!と気合を入れていたので、今朝の目覚めはいつもより若干爽やかだったような気がする。やはり人間、明確な目標・目的を持ち、しかもそれが楽しいものであったりすると、朝の目覚めもいいようである(^^)。

早速本題に入ろうと思うが、以前からこのこと(タイトルのこと)は感じていた。自然療法では病気の原因は食事の乱れ(=欧米型の食事)やストレス、運動不足だといわれ、病気はそのことを教えてくれるありがたいメッセンジャーだという位置づけだ。私の場合はたまたまガンになったが、ある人には風邪という症状で現れたり、ある人には糖尿病やアトピー、あるいは心臓病などで現れたりする。よって病気に罹った人は、病気からのメッセージを読み取り、そこを改善すれば治るというのが自然療法の考え方である。そして私の場合は、ガンからのメッセージはいろいろあるが、まずは食習慣の改善と運動不足だと思ったので、現在一生懸命それを改善しようとがんばっているのである。

私の口内炎がなかなか治らないという話を発端に、12月28日の記事に対して非常に多くの方からありがたいコメントをいただいた。りんごやチーズはだめだ、ジュースにして飲んではどうかという食事に関するアドバイス、パワーゲームから外れたところで病気を受け止めるようにすべきだ、もっと笑って、もっと楽しんで、もっとバカなことして、今の時間をもっともっと楽しむことが一番の治療法だという精神面でのアドバイスなどをいただいた。心の持ち方として以下のように書いてくださった方もいた。長文なので一部抜粋してそのままの文章を掲載させていただこう。
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私自身が、病気になる前と変わったのは、
ただ生かされているんだということです。
全部。
偶然にね。
そう思うんです。

そういう何か辛い流れ。
どうしようもない、自分の力を超えたもの。
私が今生きているのも、偶然で
見えない力に生かされてきたに過ぎないな。
と思うんです。
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私も、かつては自分で生きているんだと思っていたし、自分の体は自分の物だと頭で思い込んでいたんですが、病気になって、ヨガをするようになって思ったのは、「私は体の発する声を聞いていなかった」ということ。

「私」という心は体の管理をまかされているだけ。
体は自然が作りだしたもので、私が作ったものではなく、ましてや所有物でもなく、体は体で「私」と別の心を持っている。
だけど、病気は、私の不摂生やゆがんだ心が生み出した様々なものを、体は細胞の死によって浄化してくれているのだから私は、これに感謝しなくてはいけないんだなと思うようになりました。
病気を敵だと思っているうちは、前の方がコメントなさっているように、勝つか負けるかしかなくなってしまうように思います。みづきさんの日記を見ていると、あまりにも頭であれこれ考えすぎて、自分で自分を追い込んでいるように感じてしまったので、長文になりましたがコメントさせていただきました。
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どのコメントもまったくその通りで、私の心に染み入るものがあった。私は基本的には自然療法の観点からすべて考えているので、上記のアドバイスは今まで私が勉強してきた自然療法的な考えそのものであるからである。だから口内炎ができたときもそのメッセージを読み取ることに努力したし、最近は特に「心の持ち方」について深く考えるようになった。
しかしこのように原因を考えたりその対処法を考えたりすると、一方で常に同時に浮かんでくるある思いがある。それが「病気にならない人に対する説明がない」ということである。今まで私が読んできたすべての本がそうなのだが、病気になった人に対しては、これが原因だとか、だからこれをすれば治るとかいうアドバイスは書かれているのだが、病気にならない人に対する説明は一切書かれていないのである。例えばコメントにアトピーをヨガで克服したという実体験を書いてくださった方が、「病気は、私の不摂生やゆがんだ心が生み出した様々なものを、体は細胞の死によって浄化してくれているのだから私は、これに感謝しなくてはいけないんだ」と書いていたが、確かに私もそのように本で学んだ。しかしそれでは無病息災で一生を終えた人は、何一つとして不摂生やゆがんだ心というものを持っていなかったのだろうか?さらに言えば、私のように若くして病気を発症する人と、年老いてから発症する人ではどのような差があるのだろうか?私のほうが不摂生しすぎていたのだろうか?それとも心がゆがみすぎていたのだろうか?何度もこのブログでこの点についての疑問を提唱しているが、やはりこの点だけは何度考えてみても分からないのである。そして結局行き着く先は先日も書いたが「許容量」なのである。だってそうしないとどうしてもつじつまが合わないんだもの。

私が時々通っているOクリニックは、中国やロシアの長寿村の研究を長年続けてきており、長寿の秘訣として食事と身体を動かすことと精神的なゆとりと結論付けている。彼らの食事はとうもろこしなどの穀類が主で、他は季節の野菜を少々という食生活である。高山に住んでいるので、魚介類はなし、肉も食べない。自給自足なので、日々の生活そのものが運動となり、100歳過ぎても毎日身体を動かしている。小さな村で敵もなく過ごしているので、毎日笑いが絶えず人生を謳歌している。確かに彼らが100歳以上生きているという結果から考え、こういった村にはガンや糖尿病などの現代病はほとんど発生しないことを考えると、それらが重要なファクターであることは明らかである。
しかし、例えば私の曽祖父は86歳で老衰で亡くなった。確かに今の私たちの生活から比べれば曽祖父の生活は質素であり、また性格もとても穏やかなすばらしい人であった。でもそれが病気にならなかった理由と結論付けられるのだろうか?少なくとも戦争というものすごいストレスフルな時期を体験しているわけだが、それは病気の原因とされるストレスにはカウントされないのだろうか?
また祖父は80歳近くで食道がんを患い、その後5年ぐらい闘病生活をした後で他界した。いわゆる猛烈サラリーマンだったのでそのストレスはものすごいものだったと思うし、食事だって戦後かなりの長い年月はいわゆる現代食といわれるものを食べるようになっていたので、食事の乱れも不摂生もかなりしていたと思われる。海外生活を経験したこともあるだけに、あの年代の人にしては朝食はパンだったりと、かなりハイカラないわゆる欧米食を好んで食べる人だった。運動だって接待ゴルフ以外は何もしていなかったはずだ。このように病気になった暁にはいくらでも原因として挙げられるものがあるにもかかわらず、80歳になるまで病気一つしなかったのはなぜなのだろう?恐らく50歳でガンになっていたとしても同じことを原因だと考えたであろう。なのに80歳になるまで病気しなかったのは、原因がなかったからではなくて、許容量に達していなかったからなのではないだろうか。

yasさんが胃潰瘍を例に挙げてコメントしてくださっていたが、やはりそういうことなのだと思う。やっぱりつまるところ「許容量」なのだ。胃潰瘍の原因として、胃酸の強さ、ピロリ菌、ストレス等々いろいろな要素が挙げられるが、これらがすべてあったとしても胃潰瘍にならない人もいるし、どれか一つだけが過多になっただけでなる人もいる。胃潰瘍になった場合は、過去を振り返ることである程度の原因を突き止めることができるが、現状胃潰瘍になっていないからといって、決して胃酸が弱いとかピロリ菌がないとかストレスがないとかいうことではないのだ。単にまだ病気を発生させるほどの許容量に達していないというだけのことなのである。

こう考えてくると、ますます「病気はメッセンジャーである」という考え方が理解できなくなった(^^;)。繰り返しになるが、確かに病気になった人に対しては明らかに改善すべき点があるというメッセージがこめられているのは分かる。しかし上の例が示しているように、病気になっていなくても改善すべき点をたくさん持っている人はいくらでもいる。なのになぜメッセージが来ないのであろう?
私が当初ガンになったとき、サイモントン療法のカウンセラーに言われたのは、「あなたは若くしてガンに罹りメッセージを受け取ることができたのだからむしろ幸せな人なのだ。なぜならガンを克服した暁には、今まで以上の幸せが手に入れることができるから。」ということだった。そのときは素直にそう思って、変な話、癌になったことを喜んでさえいた。しかし今こうして考えてみると、やっぱりガンにならずに一生を過ごせたほうが明らかにいい。どんなに不摂生しても長生きできるのであれば、そのほうがいいではないか。確かに私がガンを克服したら今まで以上の健康が手に入るとは思う。しかしそれはあくまでも「一生今の生活を続けたら」という条件つきである。ガンが治って普通食に戻した途端再発した、という話はよく聞く。よって一生玄米菜食は続けなければならないのである。だとしたら、私の祖父のように、おいしいものをたらふく食べ、おいしいお酒をたらふく飲んで、死ぬ間際にガンにかかってもいいではないか?何もこんなに早くにメッセージを受け取らなくたっていいではないか!!

今日の記事にもばっちりと私の揺れる心が書かれているが、本当に私自身何がなんだか分からなくなってきている今日この頃なのである。ぜひこんなふらふらしている私にみなさんの愛の鞭を!!皆さんからの応援、批判、なんでもお待ちしています!!何度も言っていますが、コメントには新旧問わずすべてに目を通しているのでご安心を。28日のように一気にたくさんのコメントをいただくと、なかなか考えがまとまらずその日にすぐに返事は書けないこともあるが、決して読んでいないとか、コメントを軽くあしらっているとかいうことではないので誤解のないようにお願いしたい。
それにしても今日は久しぶりの大作を書き上げ、私の心は大満足(^^)。書いている間はすごく集中していたので痛みを感じることがなかったが、さあこれで書き終わったらどうなることやら・・・。かなり長時間座っていたので、そっちの疲れからも痛みが発生しそうだ・・・とほほ・・・。昨日は2度もレスキューのお世話になってしまったが、今日はお世話にならずに過ごせるよう願う。
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テーマ:ガン治療
ジャンル:ヘルス・ダイエット
コメント
この記事へのコメント
私にもはっきりと断言できることではありませんが、今はこう考えています。

 メッセージはからだの様々な病気として来る人もいれば、心の病気、ひきこもり、子供の非行、暴力、家庭の不和、事件事故・・・など様々な形をとって表れるものなのではないのでしょうか。
 どういう形をもって表れるかは、人智の及ばないところにあるのではないのでしょうか。
 そしてどんなに無病息災、お金に困った風でもなく家庭円満、長寿で傍から見ると何の心配もない幸せそうに見える人でも、一生のうち何度かは大なり小なりの何か問題を抱えているのではないでしょうか。
 そして、それは、毎日痛みに苦しんでいるみづきさんに私がいうのもおこがましいですが、重い病気の癌だから特に不幸だというような価値観のものではないと思います。
 うまく言えないですみませんね~。

痛みが少しでも軽くなります様に。
2007/01/03(Wed) 16:44 | URL  | サポーター #-[ 編集]
初めてレスさせていただきます。
私も5年前に大腸がんを患い、手術。3年前に肝臓に転移して2回目の手術を経験しています。 大腸手術の時はもうパニックで医者に言われるままに手術台にのりました。 お話したいのは2回目の手術のことです。 転移を知らされてから手術を受けるまでの半年間の経緯です。 その半年間は生活習慣を完全に切り替えて、玄米菜食、禁酒、運動(一日3万歩平均の長時間ウォーキング)、一日7時間の睡眠、この4つの掟を半年間完全に厳守しました。
長くなるので途中は省略しますが、手術前の最終CT検査の結果、医者から言われた言葉は”3cmのがんでやはり手術以外にない”という無残な宣告でした。
私は細心の注意で自分の体調を点検し続けていたので、何となくがんは消滅しているはずだという自信があったのですが、最終的には医者の言葉に屈せざるを得ませんでした。 ところが、、です。 手術が終わって切り取った部分は、がん細胞が既に壊死していて、その残骸の固まりになっていたのです。
私はこの経験から、がんは上記の4つの掟(禁酒がマストかどうかは自信がありません!)で治せると確信しています。 がん細胞を壊死させるまでにかかる時間は恐らく人によって、またがんの程度によって異なるとは思いますが、必ず免疫力の力で壊死させられると思います。
人によって病気にならない人がいる理由ですが、恐らく生活習慣の良し悪しというよりも、自分の体調(肉体的、精神的)をどれだけ細心に注意を払い、ケアしているかという”程度”(若干あいまいな表現ですが)に相関関係があるのではないかと思います。
病気にならない為の免疫力はがんを治す為の免疫力ほどは必要としない為に、第3者的に個々人の程度の違いを見分けるのが難しいということにすぎないのではないかと思う次第です。長文になってしまい、申し訳ありませんでした!
2007/01/03(Wed) 19:17 | URL  | 匿名希望 #-[ 編集]
まず、人間は不公平なものだということを認識してください。
背の高い人もいれば低い人もいるように、運のいい人もいれば悪い人もいます。努力が報われることもあれば、いくら努力してもどうにもならないこともたくさんあります。

子供の頃、一生懸命勉強しても成績の上がらない子もいれば、ろくに勉強しなくても優秀な子がいましたよね?
走るのが早い子もいれば、練習しても遅い子もいましたよね?
言うまでもなく、これらは知能指数や運動神経の問題で、努力だけでは超えられない天性の才能です。

同じように、からだの丈夫な子もいれば、喘息やアレルギー体質の子もいたことでしょう。これは体質の問題で、これまた努力だけでは超えられないものです。

才能や体質が人それぞれ違うように、持って生まれた性格もそれぞれです。そこに育ち方が加わることで、その相違はいっそう複雑になっていきます。

例えば何か失敗して上の人に指導された時、感謝する人、納得する人、反発する人、落ち込む人、不平を言う人、次はもっと工夫しようと思う人、逃げ出そうと考える人、いろいろいますよね?

同じ状況下でも反応は人それぞれです。ストレスのかかる状況下でも、うまく順応できる人はさしてストレスは溜まらず、どうしても馴染めない人は大きなストレスを抱え込みます。

食生活も、性格や環境などによって左右されます。
同じ物を食べても、時間に追われて味わうことなくかき込む人と、穏やかな気持ちでゆっくり噛んで食べる人とでは、明らかに消化の仕方が違うでしょう。
お酒も、上司のグチを言いながら飲む酒と、今日一日に感謝しつつおいしく飲む酒では、からだに与える影響は違うはずです。

体質も性格も違うのだから、好ましくない状況下で好ましくなく飲食物を取ったとしても、からだに現れる症状が同じはずはありません。それは一言で説明できるものではありませんし、解明しきれない神秘も含まれていることでしょう。

どうすれば病気にならないか。
それがわかれば、この世にこんなに病人があふれているわけはないですよね。原因すら解明できていない症状がまだまだたくさんあるのですから、欲張ってはいけません。

長文になってしまい申し訳ありません。最後にもう一言。
みづきさんが病気になった要因が何なのかはわかりませんが、今までは理詰めで考える性格が徐々にストレスを溜め込んだのではないかと思っていました。

でも、元旦の「昔は健康を祈るなど一度もしたことがなかった」という一文を読んで、ほかにも原因があるのではと感じました。
よほどの幼子でない限り、家族や自分の健康を祈るのは当然…というより、ごく自然なことだと思っていたので、正直驚愕しました。今まで、何かおごりがあったのではないでしょうか?
2007/01/03(Wed) 22:46 | URL  | 匿名希望 #-[ 編集]
ここ数年、テレビで訃報等を聞いて思うんです。30代半ばに、大きな病気をする人が目立つかなと。そのあととしては55歳前後かなと。それぞれ、体力の衰えなど、肉体面での変化が進む時期かなと思うんです。体内の、病気を抑えていた力が衰えるのか、それとも、それまでの年月で蓄積された病気を起こすものが許容量を超えてしまうのか、またはその両方なのか。。
いつなってもおかしくないのが病気でしょうし、こうだと言い切れるものではないのでしょうから、断定はしません。そういう傾向が多少は有るのかなというくらいです。

ガンになるリスクの高い、低いは有るでしょう。発ガン物質が多く取り込まれたとか、ガン細胞が退治されにくい状態になりやすいとか、普通の細胞がガン細胞に変異しやすい状態になりやすいとか。
高齢者に多いそんな状態に、人によっては、若くしてなってしまう事があるのかもしれませんね。。

とにかく、ガン細胞をやっつけて!
2007/01/03(Wed) 22:51 | URL  | yas #Nc2AnN8g[ 編集]
先日、コメントをさせていただいたものです。
確かに、病気になったら「どうして自分だけ?不公平なんじゃ・・・」って思いますよね。

前の方のコメントの補足になるかもしれませんが、人間って良い所も継承されていくけれど、悪い所も見えないけれど継承されていって、ある時特定の誰かにあらわれるのではないでしょうか。

(前の続きですが)私のアトピーの原因を考えると、私の精神面に行き着いてしまうのですが、
私の家は両親が不仲で、私は精神的に不安定になってしまい、それが生活の不規則さとなって現われ、結果的に病気になりました。
だから、精神的に成長しなければまた生活が乱れて病気になる可能性も高いです。

私の父方の家系は不幸な家庭が多く、自殺や精神病、事故でなくなった方も多いです。そこまで、さかのぼるともう個人の範囲を超えてしまいますが、私は負の遺産をもっていることは自覚しています。

そして、家系の単位でなくて、社会の中にも暗部が沢山あり、それが近年みられるいじめのように、一番弱い立場である子供を通して現われてくるのではないでしょうか。

みづきさんは家庭的にはお幸せそうなので、私の例とは違うかもしれませんが、
現在の食品や都市生活が持つ負の部分に対しての感受性が強く、その負の部分がみづきさんを通して現われてしまったのかもしれません。

いずれにしろ、世の中には自分の考えだけでは分からないことも多いし、分かることはごくわずかなんじゃないかと思っています。

病気になると、どうして自分なんだろうって思って、つい健康な人がすごくうらやましくなってしまうし、意味もわからないんですけど、
私はみづきさんのブログを読むことで、自分の生活について沢山のことを考えさせられました。
きっと、同じ病気を持つ人や、その家族の人はみづきさんの文章から多くのことを感じて、病気について考えていくと思います。
それは意味があることではないでしょうか。

私はやはり、病は気からと思っているので、
みづきさんに少しでも明るい気持ちを持ってほしいのです。
人と自分を比べても、「ないものねだり」になってしまいます。だけど、「ないもの」からは何も生まれません。
それよりは、「あるもの探し」をして、自分が持ってる良い所や幸せに感じる瞬間を見つけて、その時間を、思いっきり幸せに感じるようにしてみてはどうでしょうか。
家族の人や友人が支えてくれているというあたりまえのことが、実はすごいことなんだと思えるようになれば、人と比べて悲しい気持ちになったりする時間も節約(?)できると思いますよ。

言いたいことが短く言えずに、長文になってしまい、申し訳ありませんでした。

2007/01/04(Thu) 00:44 | URL  | yuki #-[ 編集]
みづきさん、こんにちは

突拍子もない事を言うようですが、
私は、人間が生まれてくる目的は自分の魂の向上の為と思っています。
そして生まれて来る時に自分のマスタープランを作成してくるのではないかとも考えています。

どうして私がこう考えるようになったかは、10年程前に目に見えない不思議な体験を一定期間、色々体験したからですが、科学的な思考回路の私は今だに理解不可能ですのでここでは割愛させてください。

上記の仮説を基に書かせて頂きます。

みづきさんが癌になられたのは必然だった。
ご自身の魂の向上に必要だった。

そして、みづきさんならこの病気を克服する過程で、ご自身を省みて悪戦苦闘を繰り返しながら、魂を向上できる強さがあると、みづきさん自身が生まれてくる前に判断したと考えてみては如何でしょうか。

この世の中、不公平な事、不条理な事は一杯あります。

回りと比較するより、みづきさんの内面の声に耳を向けてください。

みづきさんの魂は今生だけではないのです。
何千年前も何千年先も不滅なのです。

今、この世の中に修行に来ていて、みづきさんは課題に取り組んでいる。
ただ、それだけなのです。

とことん悩んでご自身を見詰めてください。

季節の移り変わりに心を留め、大地の気・天上からの気を
一杯受けて、心からから自分が幸せだと感じてください。

例えば、
朝起きたらカーテンを開けて空を見上げて大きく深呼吸をし
夕日を見て宇宙の大きさを感じ
散歩する時は、なるべく土の上を歩いて大地を踏みしめ
微生物を殺している自分の殺生を感じ
雑草を見たら勇気付けられ
枯れた木々をみたら声をかけ

バーチャルではなく体験してください。

そうすれば、自然と心から感謝する気持ちが湧いてきて心がホットになります。

心の余裕です(^^)

みづきさんのプログは私に考えさせられる部分が多々あります。
上記の事は、私自身の課題でもあります。

お互い、頑張って魂を向上させていきましょう!

2007/01/04(Thu) 04:38 | URL  | れお #-[ 編集]
上手く言えないけど
なぜ自分だけがという気持ち私も本当に分かります。私も余命ある身。でもこう考えています。とにかく今生きている。本当にたちの悪い癌だったら、もう死んでいるはずだ。とにかくいま生きているから大丈夫。上手く言えません。
言いたいことひとつ。余命が伸びたってすごいこと、その頑張りの力もみずきさんの体内にあった
はず。
2007/01/04(Thu) 09:00 | URL  | 茉莉 #-[ 編集]
本年もよろしくお願いしますね♪
その後、痛みはどうでしたか?
揺れて当然ですよね・・・全くもってみづきさんに同感です。
できれば私もメッセージは受け取りたくないものですが、周りでみづきさんを支えている方も一緒にメッセージを受けているってことですよね。
その役目をかってくれる方に届くのかもしれません・・・。
この経験も決して無駄ではないはずです・・・。

私も書くことで自分の気持ちを整理することができています。
書くことができなかったら、ストレス溜まるだろうなぁ~(笑)
以前お送りしたメルにも書きましたが、身内で闘病生活を送っている方がいるんです。この方を思うと同時にいつもみづきさんのことも思っていますよ♪
2007/01/04(Thu) 11:29 | URL  | ちゃこ #z8Ev11P6[ 編集]
私やみづきは、小さい頃から相対評価のなかで育ってきているので、個性が重視される絶対評価の価値観よりも、評定平均値が上か下かで評価されたり、評価したりすることに正直なところ慣れてしまってるのかもしれないよね。

それは、仕事や学業だけでなく、恋愛や健康をテーマにしても同じです。
自分は○○をテーマにすると、他人より劣っているのではないか・・・劣等感を憶えてしまうわけです。

最近はビジネスの世界でも「WIN-WIN」の発想が浸透してきて、ゼロサム勝負の価値観だけが推奨されてるわけではないけれど、参加するのに意義がある五輪だって、金メダルが多い方が良いに決まってると思ってしまう。そういうのって私も本音だったりします。

人によって度合いは違っても、何かをテーマに悩み辛い思いをしているし、私も「何で自分の場合は・・・」ってマイナス思考に考えてしまう時が多々あります。そう思ってしまう時は、無理にその気持ちを押し込めようとせずに、このブログの場などで発散しまくっていいんじゃないのかな。
みづきは結果を求める人だから、結果に直結するまではその過程で悩み続けるだろうから。

多分、世の中には方程式のように結果や答えが一つのものに導き出せないものがたくさんあるのでしょう。

私自身も答えを出せない方程式をたくさん抱えていますが、今は、結果ありきで進むのではなく、そのプロセスで一所懸命に取り組むことを心がけるようにしています。その先に結果があるのだと思ってます。そして、その結果を良しとするも悪しとするも自分の捉え方次第なんだろうなと。

全く具体的なアドバイスができなくてごめんね。
メールで送ればいいんだけど、律儀なみづきは返信してくれちゃうので、ここに書きました。




2007/01/04(Thu) 13:37 | URL  | TOMOMI #-[ 編集]
これまでずっと拝見しておりましたが、初めてコメントします。

人間の生と死、病気、事故、逆に思いがけない幸運に助けられること、もっと身近なことでいえば、私が今パソコンに向かっていることまで、すべてのことは必然ではなく、偶然の現象だと思っています(「病気はメッセージである」という考え方とは相容れない部分かもしません)。
すべての生き物が今ここに居ること、あるいは居ないこと、それらはいち人間の行動や意図などで左右されるものではなく、もっと人智を超えたものだと思うのです(かといって宗教的なこととも思わないのですが)。

もうひとつ思うのは、「人は結局、自分以外の何者にもなれない」ということです。どんな方法を使っても、他者の感情そのものを味わうことはできません。自分の肉体、そして精神というものは、決して脱せられない檻なのです。

だから、偶然に起こる色々な現象を、他者と比較して理解しようとしても意味はないと思います。確かにガンは大変な病ですが、では道ですれ違った健康そうな他人が、自分より幸福であるのか?あるいは、早くして亡くなった人は自分より不幸であるのか?そんなことは誰にもわかりません。

病に、もしくはすべての偶然の事象に、どんな意味を見出すのか。それには正解などなく、結局は、すべてのことは自分次第なのです。だったら「自分にプラスになるように」考えておくのがオトク(笑)だと、最近は思うのです。
みずきさん自身が「ガンは身体からのメッセージである」と理解することで、自分の人生にとってプラスになるのであれば、そう受け取るのが正解であると思います。ただ、逆にその考えに縛られて、自分にとってマイナスになるのであれば、それは不幸なことです。

健康な人も、病に罹った人も、どんな状況下にいる人も、一番大切なのは、愉しいと思える日々を送ることです。どうぞ、自分の息がラクになるように考えて下さい。ラクというのは、楽をするという意味ではありません。どんなに厳しい自然療法であっても、それが自分の気持ちをラクにするなら、それが正解ということです。
自分の考えに縛られて自分を追い込むのは、一番もったいないことです。

人生とは迷いの多いものですが、その逡巡でさえも楽しめたら、と私は思っています。
2007/01/04(Thu) 15:05 | URL  | ねね #-[ 編集]
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