西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています

ガン患者の会でパワーをもらった はてなブックマークに追加
2006年11月11日 (土) | 編集 |
今日は私が所属しているいずみの会に参加してきた。初めて出席したのは今年の5月、定例会は2ヶ月に1回なので7月と9月にもあったのだが、結局5月を最後にずっと参加できていなかった。確か7月の定例会のときは出席希望を出していたのだが、当日下痢でとてもじゃないけど参加できるような状態ではなかったと記憶している。そして9月のときは、ブログにも何度も書いたが、当時の私にとっては時間通りにどこかに行くというのが一番難しいことだったので、最初から無理とあきらめて出席希望さえ出さなかった。そう考えると、今日こうして時間通りに会に参加するため外出できるようになったというのは、ものすごい前進である。これは本当にストーマの手術を受けたおかげであると思っている。

いずみの会に行くといつもそうなのだが、パワーをもらって帰ってくることができる。今日もある元気な女性のがん患者にパワーをもらって帰ってきた。彼女は33歳の進行性胃がんで、話を聞くと非常に私に似ているところがあるのだが、いろいろな面で彼女のほうが私よりはるかに上回っていた。まずは彼女の強い意志と気力だ。彼女は手術も抗がん剤もすべて断って、まさに自然治癒力だけで克服しようとしているのだが、その徹底ぶりがすごいのだ。いいと言われることはすべてやっていると豪語していたが、玄米菜食やびわ葉温灸はもちろんのこと、尿療法もやっているらしい。そしてがん告知から9ヶ月経った今、6cmあった腫瘍が少し縮小し、なんと腹水は消えたのだそうだ。なんとも羨ましい話であるが、彼女が言っていたのは、なんとしても生きる!!生きるためだったらどんなことでもやる!!という強い意志が重要だと(だから尿も飲めるのであろう)。そしてその強い意志がなぜ持てるのかというと、子供がいるからだそうだ。離婚しているので、我が子のためにも自分が死ぬわけにはいかないのだと言っていた。

彼女が私にこう問いかけてきた。「あなたは誰かのために自分が死ぬわけにはいかないと強く思っていますか?」と。私には子供がいないことを伝えると、「じゃあご主人のためにも死ねませんね(^^)」と言われたのだが、正直強くそうは思えなかった。なぜなら実際、私がいなくても多少生活に不便は生じるかもしれないが、金銭的には困らないし、あとは精神的なショック次第だが、それについては主人がどのぐらいショックを受けるかは私には分からない。実はこれについては今日に始まったことではなく、前から思っていたことなのだが、私にはとにかく「絶対死んではいけない!!」と思える強烈な動機みたいなものが存在しないのだ。そして私の問題はこれなのではないかと前から感じていた。だからといってもちろん死んでもいいとは思っていないし、生きたいとは思っているのだが、子供がいる人ほどは強烈に思えないのが事実である。

この彼女のすごいところは、精神力で痛み止めも一切飲むことなく過ごしてきているということだ。痛み止めを飲むほどの痛みがないということも考えられるが、そのように私が質問したところ、かなり激しく痛むときもあるそうで、でもどうしても薬を飲むのがいやで、それこそ「痛みよなくなれー!!」と念じて精神力でなんとかやっつけたり、あとはびわ葉温灸が彼女の場合すごく効果があるらしく、痛くなったらすぐに温灸を始めるのだそうだ。薬嫌いは徹底していて、CT検査のときの造影剤ですら拒否したとの事。そんなことが可能であるとは思わなかったのでこれにも驚いたが、造影剤を使わなくても多少精度が落ちるものの不可能ではないらしい。

家族の協力体制がこれまたすごい。我が家も相当家族の協力は得られていると思うが、彼女の家族、特に母親の協力は目を見張るものがあった。今日の会にも一緒に参加していたが、カート付の大きな荷物を持っていたので、地方からの参加で宿泊でもしたのかと聞いたところ、2食分のお弁当とポット2本、それから痛くなったらいつでもどこでもできるように、びわ葉温灸セットが入っているとのこと。外出するときはいつもこのぐらいの大きな荷物を持ち歩いているとの事で、これには本当に恐れ入った。現在同居中で、3度の食事の世話からびわ葉温灸まで、すべて母親がやってくれているらしい。またさらに驚きなのは、その母親の勉強ぶりだ。彼女が勉強するのは当然だとして、母親も彼女と同様、すべての本を読んでいるらしい。だから私が何を言っても知っていたし、意識が同じレベルにあることが何よりもいいなと思った。

このように、今日はものすごいパワフルな女性に出会えたおかげで、私もまたがんばろうという気持ちが持てた。実際腫瘍が小さくなった人の話を聞けたことの意義も大きい。と同時に、やはり私に足りないものは、以前から言っているように精神的なものであると再度感じた。なかなか瞑想をやる時間がとれていない現状であるが、なんとか明日から時間をとるようにして、イメージ療法に力を入れていこうと思う。
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テーマ:ガン治療
ジャンル:ヘルス・ダイエット
コメント
この記事へのコメント
まず無さん、ありがとう。
確かに伝わらなきゃ意味ないんだろうな。でもどうしても荒っぽいことしか書けなくて・・・
親より先に逝くことは最大の親不孝だよ。たいして孝行もしていない自分としては、何がなんでも親をみとりたいと思っている。そういうのは、生きる活力につながらないものなんだろうか?
2006/11/11(Sat) 23:41 | URL  | 通りすがり #-[ 編集]
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2006/11/12(Sun) 00:46 |   |  #[ 編集]
Time to change
いろいろな意味で、価値観が根底から変わる時がきたようにお見受けします。物理的、現実的な範疇を超えて、あなたが死んで誰が困るかでなく、あなた自身がここで死ぬわけにはいかないということに気づく時です。 誰が困るか、応援してくれている人がいるとか、そういう事を越えてだと思います。
2006/11/12(Sun) 01:53 | URL  | Grace #-[ 編集]
通りすがりさん、その後も読まれていたのですね。
家族が病魔に襲われたことを、私はとても悔しく思っています。残念で、悲しくて、切なくて、こんな状況が恨めしく、現状にいら立ちも感じています。

通りすがりさんのコメントを読んだとき、少々“荒っぽい”(引用させていただきました)文面の中に、似たような思いを感じ取りました。同時に誤解されることを危惧しました。
本当はどういう方なのか知る術はありませんが、いい加減な人は自らを“チャランポラン”だなんて言わないものだと、私は思っています。

文章だけで思いを伝えることは、とても難しいですね。
みづきさんに、誤解されずに伝わっていますように。
2006/11/12(Sun) 05:11 | URL  | 無 #-[ 編集]
うまく伝わらないものです。無さんの「そんなに頑張らなくていいのに、楽に行きましょう」という言葉では伝わらないと思っていましたから。
意味が違うのにね。ほんとに楽をする事に受け取られた気がします。

私は偉そうな事をもう言いたく有りません。
アカの他人ですしね。
コメントを頼まれたわけでもないし。
お邪魔虫。(笑)
2006/11/12(Sun) 05:46 | URL  | yas #-[ 編集]
誤解してました。
先日通りすがりさんのコメントを批評したものです。
荒っぽい表現しかできない、とのこと。その後のコメントで真心はある方とお見受けしました。皮肉交じりのコメントごめんなさい。
しかし、あの文章では、「チャランポランな自分は病気知らず」逆に読むと、「考えすぎる人は病気になる」に読めてしまいます。また、現に闘病中の相手に対し、病気知らずの人間が(引用しました)、「肩の力抜きなよ。考えすぎず、能天気に行こうよ」では、あまりに心無い・・・と感じたのです。
もちろん行間ににじむ、言いたいことはわかります。しかし、読んだときの私の憤慨も知っていただき、まあ、両成敗としてください。優しい方であると分かり、誤解は解けました。

文章は誤解を生む・・・これは、それぞれが心すべきであると、自戒を含めて思うものです。その上で、今日はみづきさんの言葉に少し残念な思いをしました。
以前食事のことでお母様を嘆かせたと書いていらっしゃいましたが、みづきさんが今日書かれていた、何気ない「他の患者さんのお母様の完璧な勉強ぶり」。これを読んで、みづきさんのお母様が苦しい思いをされないのでしょうか。また、「生きる意思の欠如」の個所を読み、みづきさんのご主人が「どうして俺のために生きると言ってくれないんだ」と、悲しい思いをされないのでしょうか。
もちろん毎日の生活の中で、絶えず感謝の気持ちは口にされていると思います。しかし、この文章の中には、「家族の協力は相当得られている」
だけ。私から見ると言葉足らずです。
物事を合理的に考えることと、豊かな情愛は矛盾しないはず。自分のことに精一杯で、周囲を気遣う余裕はないことは、私自身闘病中の身、よく分かります。しかしもっと血の通った想像力を持って、(合理的思考ではなく)周りのものを見て欲しい。諫言ごめんなさい。
2006/11/12(Sun) 05:48 | URL  | masumi #-[ 編集]
ほんと言葉って難しいですね
みなさんコメントありがとうございます。masumiさんのコメントは深く考えさせられました。実はあの話を書くことで母への影響があることは、すでに気づいていました。しかしそれを承知であえて書いたのです。別に母への戒めのつもりでもないですし、彼女の母親のようにやって欲しいということではありません。ただ現実にそういうすごい人がいる事例を紹介したかっただけのことなんです。うちの母はよくやってくれていますし、また今以上のことを母に要求するのは無理だと思っています。やはり人それぞれできることとできないことがありますからね。

例えば自分に子供がいる場合で、ものすごく優秀な他人の子供がいたとします。その子供のすばらしさを自分の子供に話すことは、ともすれば、「あなたもあのうちの子供のようになりなさい」と暗に言いたいのではと思われる危険性をはらんでいますが、自分の子供に十分満足している場合は、すべてがそういうことではないと思います。単純に世の中のすばらしい事例や出来事を教えてあげたいという気持ちからなのです。他人の優秀な子供に対して羨ましいという気持ちがゼロだというわけではありませんが、だからといって自分の子供には無理難題だと分かっている場合は、自分の子供への欲求とかいうのはなくなって、それはそれ、これはこれ、という感情が芽生えてくるものだと私は思っています。そして私は今の母に100%満足していますので、まさにその気持ちなのです。

今回もちょっとセンサティブな内容になりましたので、この説明でうまく伝わっているかどうか不安ですが、とりあえず私の考えを書きました。いやはや、ほんと言葉って難しいですね^^;)。
2006/11/12(Sun) 12:31 | URL  | みづき #-[ 編集]
この際ですから、書かせてください。
失礼ながら、みづきさんの、無駄を排したような、冷血のような、ストイックな、そんな文章が、読む人間にはつらいというか、悲しいというか。。
人間的な、暖かみを感じる文章を期待している、と言っていいのかな。

今日の、「意識が同じレベルにあることが何よりもいいな」というところも、意識が同じレベルではない人間を否定しているように感じてしまいますよね。ガンではない我々をバッサリと斬り捨てたような。。

文章は気を付けて書かないといけませんよね。
2006/11/12(Sun) 21:51 | URL  | yas #-[ 編集]
なるほど、「考えすぎる人は病気になる」とも解釈できるのか・・・。文才がないっていうのは言い訳にしちゃいけないんだろうけど、本当に文章は難しい。

自分は理不尽さを感じているだけ。夜更かしして、暴飲暴食して、休みの日はグータラしてる自分は健康なのに、なんで規則正しく真面目に生きてきた人が病気になるんだ?なんで苦しまなきゃならないんだ?この現実が我慢ならないんだ。

だからこれ以上苦しんだり悩んだりしてほしくないと思ってのコメントだったんだが・・・もっと文章書く練習しなきゃ、だな。
2006/11/12(Sun) 23:28 | URL  | 通りすがり #-[ 編集]
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