西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています

人間は生かしてもらっているのだろうか? はてなブックマークに追加
2006年07月30日 (日) | 編集 |
故絵門ゆう子さんは、毎日朝起きたら「今日も一日生かしてくれてありがとう」とベランダに出て天に向かって感謝していたそうだ。いろいろなガン患者の本を読むと、やはり多くの人が「毎日生きていることに感謝している」と書いている。
実は正直なところ、私は一度もそう思えたことがない。生きていてよかったとか、生かしてくれてありがとうとか、どうしてもそう思えないのだ。これはガンになってからだけではなく、今までの人生において一度もそう思ったことがない。今朝も無理やりそう思おうとしてみたが、やはりだめだった。それは当然だろう。こういうことは無理やり思うものではなく、自然にかつ心の底から思えなくては意味がない。

なぜ思えないのだろう。恐らくまだ自分としては「生きているのが当たり前」と思っているからだと思う。そして誰かに生かしてもらっているという感覚がないからであろう。ガンになってからのこの一連の勉強の中で、私たちは宇宙の一部であり、宇宙と一緒に呼吸しているということを学んだ。それは理解できているのだが、しかしそれでもまだ私の中では、宇宙という壮大な存在に生かしてもらっているとは思えないのだ。
ただ、一つだけ前進したのは、食べ物や家族及び友人の協力には感謝するようになった。以前は食事をしていても、食べるのは当たり前で、野菜を食べながら”この野菜のおかげで私は生きている”などと考えもしなかった。でも今は一つ一つ食べながら感謝をしている。びわ葉温灸をやれば、びわにパワーをもらっていることに感謝している。家族や友人に対しても同様だ。とりあえず物質的なものや愛には感謝できるようになったようだ。

しかし、感謝はすれど、どうしても「生かしてもらっている」という、いわゆる受動的な気持ちにはなれない。やはりまだ私としては、いろいろな人や物に「協力」はしてもらっているが、あくまでも「自分の力で」生きている、と思ってしまう。やはり「生かしてもらっている」と思わないといけないのだろうか。そう思えるようにならないと、やはりガンは治らないのだろうか?なぜならガンはメッセンジャーだから、もしガンが私にそのことを伝えたいと思っているのであれば、私がそう思える日が来るまで、私の身体に居座り続けるであろう。まだまだ私は修行が足りないようだ。

今日はほとんどガスが出ず(ほんとに信じられないぐらい出なかった・・・(^^;))、夜8時から12時までの4時間、圧迫痛&通過痛で苦しみ、さすがに痛み疲れしてしまった。今、夜中の2時であるが、ようやく痛みが落ち着いてきたのでそろそろ寝るとするか。果たして眠れるかどうか・・・。
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ジャンル:ヘルス・ダイエット
コメント
この記事へのコメント
この世に居られる時間
人間が生きて居られる時間は長くて100年。地球の歴史が46億年とします。生まれる前45億9999万年余は死んでいたも同然ですね。死後も何十億年という時間が流れます。このことに人間はだれひとり逆らえません。一瞬だけ、地上に降り立つ事を与えられてるんです。自力で生きてると言っても、地球の歴史、宇宙の歴史の中では自力とは思えない。自力で生きてる=生かされてる、なんですね、きっと。
生きててよかった、生きたい、生きてることを有り難く思う。これも、みんな同じ意味なんじゃないかと思います。言葉が違うだけで。
生きてることに感謝するって言葉も、死を悟って、今は生きてる、ということに対して出てきた言葉というより、もっと生きたいってことだと思います。未来への希望に溢れた言葉に感じます。
いつ死んでも構わない、という言葉だって、死にたいという意味ではないですもんね。いつ死んでも後悔するような人生は送って来なかった、っていう意味がありますよね。
2006/07/31(Mon) 02:58 | URL  | yas #Nc2AnN8g[ 編集]
私の場合、
こう生きたい、と考える時と
あ~生かされてる、と感じる時と
心の中でなのか頭の中でなのか使っている部分が違うような気がする。。。
生かされてるなぁっていう時は、周りからのプラスのエネルギーを感じる感覚的な幸せな感情・・・
うーん。結局はっきりわからない。私もまだまだ修行中・・・

2006/07/31(Mon) 05:56 | URL  | yuko #-[ 編集]
生きるとは何か、人生とはなど哲学的な問題ですね。私自身はデカルトの「我思う、ゆえに我あり」的な考えを持っています。

私の思考上、私はどんな状態であったとしても存在していると思います。考えるところの自分があるから私という存在があると信じますが表象と実在は一致するかどうか定かでありません。

この人間という形というのは、今私がそう思っているだけでじつは肉体など存在しないただ観念だけが存在するのかもしれません。

みづきさんという存在も私の思考の中の登場人物であって実在するのかあるいはわたしの思考が作り出した仮想のものかわかりません。

なんか変なことを書き出してしまいましたが、わたしが言いたいことはみづきさんがおっしゃるとおり、みづきさんは自分の力で生きている(あなたが思考するゆえに存在している)のだから生かしてもらっていると感謝できないことで悩む必要はないと思います。

治療を行い痛みが緩和され、その一つ一つに対して感謝したり廻りの人たちの応援や愛情に喜びや感謝を感じてみづきさんがより幸せになるのならそれは素晴らしいことです。でも無理やり思い込もうというのはナンセンスだと思います。

どんな長雨もいつかは止みます。

Take care of yourself! ご自愛ください。
2006/07/31(Mon) 08:52 | URL  | 雅子 #-[ 編集]
私も自分の力で生きているとどこかで思ってるし、人との出会いやつながりをあまり大切にしていない気がします。
物事にはどれも意味や因果があるとされているし、その通りだと思うけれど、でも、無心が必要なときもある。
どうしても理想や目標に向かって進んでいかなくては!と思いがちだけど、今やらなくてはいけないことを全うすることが肝心なのでしょうね。
今(現在)の連なる先が未来だし。
ただ、私ももっと周りに感謝の気持ちを示したいと改めて思いました。
2006/07/31(Mon) 16:35 | URL  | TOMOMI #-[ 編集]
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