西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています

15年ぶりの先輩との再会 はてなブックマークに追加
2007年07月04日 (水) | 編集 |
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<写真の説明>先輩が持ってきてくれたお花。私の好きな色=グリーンを多用したアレンジにしてくれた!

おとといは大学時代のサークルの先輩が我が家に遊びに来た。先輩とは卒業以来会っておらず、なんと15年ぶりの再会だった。今回の先輩との再会を通じて、すべてのことは偶然ではなく必然なのだと思った。必ずすべてのことに意味=メッセージがあるのだと思った。そしてその意味は、そのときすぐに意味がある場合もあるし、かなり後になって意味を持つ場合もある。今回の先輩との再会は、すぐに意味をつものだと私には感じた。ガンからのメッセージだと感じた。どんなメッセージなのかについては今日は時間がなくて書ききれないので、明日以降へまわそうと思う。

とにかく今回の再会話はとんとん拍子に進んだ。治療に関する情報提供で先輩が私にメールをくれたのがほんの1週間前。それをきっかけにメールでいろいろな話をしているうちに「会いたいね」という話になり、あっという間に日にちが決まり実現に至った。
しかし再会が実現するというのは、今の私においては、けっこう簡単なようでそうでもないというのが実情である。実際ここ最近において「会いたいね」という話をした友人は何も先輩だけではない。それどころか、会う日にちまで決定していたのに当日私の具合が悪くなってしまってキャンセルになった友人や、私のインテリア改装が理由で延期になってそのままになってしまっている(ごめんなさい!)友人たちがいる。それ以外にもけっこう「近いうちに会おう」という話は持ち上がるのだが、なかなか私の体調が整わないこともあるし、お互いのプッシュが足りないこともあって、話だけで終わることが多い。それが今回の場合は実現したのだ。これには意味を感じずにはいられない。別に今回先輩と会うことが他の友人に会うことよりも重要だったとかそういうことではない。私が思うに、タイミングの問題だと思っている。どの友人にも会うことは同じように重要であるのだが、タイミングとしては先輩との再会が今の私にとって意味をもたらすものであったのだと思っている。それがガンからのメッセージだ。

それにしても、先日のロサンゼルス在住の友人といい、おとといの先輩といい、本当に友人というのはいいものだ。ちなみに彼女らは同じサークルなのだが、このサークルがこれまたものすごくいいサークルで、その心地よさは学生時代から何も変わっていないと思った。どのように心地よいのかというと、誰でも受け入れてしまう器の大きさがあり、具体的にはサークルの合宿だというのに、友人や親兄弟、親戚を連れてきてもまったく違和感がないというサークルだ。私は大学時代もう一つ別にテニスサークルにも入っていたが、テニスのほうはテニスでまた別の心地よさや楽しさがあったが、このサークルはそういう心地よさがあった。ゆえに15年のブランクなど微塵も感じなかった。
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ジャンル:ヘルス・ダイエット
人から愛されたかったら、大事にされたかったら、まずは自分が人を愛すること、大事にすることである はてなブックマークに追加
2007年07月06日 (金) | 編集 |
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<写真の説明>銀行時代の友人が大好きなさくらんぼを贈ってくれた!甘くて超おいしかった!!!

普段目覚ましなんてかけることのない私が、昨日は目覚ましを8時半にセットして早起きした。ラウンジの予約をするためだ。実は8月5日に高校テニス部で集まることになっているのだが、その会場としてうちの事務所が入っているマンションのラウンジを使うことになったのだ。うちのマンションはいわゆるタワーマンションなので、タワーマンションならではの共同施設として19階にビューラウンジがあるのだが、私も遠出はできないしみんなに来てもらえると助かるのでそこを使おうということになったのだ。

事前に確認したところ、ラウンジの予約は利用日の1ヶ月前の朝9時にフロントで受付開始とのことであった。つまり希望日時を確実に押さえるには、朝9時に並ぶ必要があるわけだ。もちろん普通であれば、受付開始初日であればおおよそ確保できるだろうし、ましてや9時にフロント前に並んでいる必要などないであろう。
主人も言った。「何もそこまでしなくてもいいんじゃない?2時間あと(=11時)でいいのなら、どうせ僕が事務所に行くのだから予約しておいてあげるし。それに最悪5日がだめでも他の日なら取れるわけだし」。しかし私は断った。万が一私の他に8月5日を狙っている人がいたらどうするのだ?私は何がなんでも8月5日の予約を死守したかった。もちろんこれが予約のために例えば(ありえないが)大阪まで行かないとだめとかであればあきらめたであろう。しかし今回の場合は、いつもよりちょっと早起きするだけで100%可能になるのである。そんなちょっとの努力を惜しんだばかりに予約がとれなかったなんてことだけは絶対に避けたかった。

なぜ私がここまで死守にこだわったのかというと、この日であれば全員出席が可能だからである。この年になるとなかなか集まろうといっても、結婚式でもない限り全員出席することは難しい。地方に住んでいる子はもちろん難しいし、子供や家庭の事情で出て来れないことも多い。なのに5日だけは不思議なぐらいうまくみんなの都合がついて、岡山と大阪と栃木に住んでいる子も、他のママたちもみんな出てこれるというのだ。それもみんな私に、そしてみんなに会いたいという気持ちから都合をつけてくれたのである。

このブログを読んでくださっているみなさんは既知の通り、高校テニス部は毎月私にプレゼントを贈り続けてくれている、私にとってかけがえのない友人たちである。私を入れて総勢13人、人数的にも少なすぎず多すぎずでちょうどよかったのか、とにかく仲が良い。そんな友人たちのために、私は自分の可能な限りの努力をしたかった。

今回ガンになって私は本当に幸せなことに多くの友人から励ましやねぎらいの言葉をもらい、たくさんのプレゼントをもらい、いかに自分が幸せな状況にあるのかということを再認識した。私はあまり友人のためにしてあげた記憶はないので、いろいろな人から「みづきはすばらしい友人たちに囲まれて幸せだね。でもそれはみづきの人徳だね」と言われても、なんでこんな私にみんなこんなに良くしてくれるのだろうと少し不思議な感じもあった。
しかし自分で言うのもなんだが、今回のこの件で、少しだけそれが分かったような気がした。けっこう自分の気がつかないところで、友人のために必死になっていた自分がいたのかもしれない。そして自分が本気になればやっぱり相手も私に対して本気になってくれるのだ。
思えば2年前の親友の結婚式のときも、私は当時アメリカにいたが、結婚式に出席するために帰国した。そして友人もその私の愛に応えてくれた。わざわざ披露宴の場で私のことを特別ゲストとして紹介してくれたのである。

今の私がこうしてすばらしい友人に支えられているのも、こういう私の友人を思う熱い思いが、友人にちゃんと伝わった結果なのだと思う。先日15年ぶりに再会した先輩との話にも出たのだが、やはり人から愛されたかったら、大事にされたかったら、まずは自分がその人を愛すること、大事にすることである。そしてこれは人間関係だけでなく、すべてのことにも通ずるものである。昨日主人とも話していたのだが、仕事においても、ちゃんと手を抜いた分だけ結果に反映される。努力を惜しまないで全力投球すれば、結果にもきちんと跳ね返ってくるのである。
よく、相手が愛して/○○してくれないからこっちも愛さない/しない、と言う人がいるが、そういう考えではいつまでたっても誰からも愛してもらえないし、してもらえないだろう。まずは自分のほうから相手に愛を与えることだ。
なんか最後は説教っぽくなったが、実はこれは私自身に対する教訓でもあるのである。つい先日までは、私もまず最初に相手からの愛を求める傾向があったからだ。
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ガンからのメッセージ はてなブックマークに追加
2007年07月09日 (月) | 編集 |
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<写真の説明>いつも無農薬野菜を下さる母の友人からの新鮮な野菜たち。おいしいきゅうりは味噌をつけてそのままカリッと食べるのが一番。甘くて超おいしかった!!!

7月4日付けの記事では時間がなくて書けなかった「ガンからのメッセージ」について今日は書きたいと思う。1年前にガンが発覚してから今日までの間、このブログにもガンから受け取ったメッセージをいろいろと書いたが、なんとなく私の中では、もしかしたらこれかもしくはあともう一つぐらいで最後かなという気がしている。そしてもしこれが最後であるならば、これをクリアーできればガンは完治するということであるのだが、逆に言えばそう簡単にガンが克服できるはずもないので、当然ながら私にとっては大きなハードルになる。しかしここ最近の一連の出来事によってまたいろいろ学んで成長できたので、これから飛び越えなければいけない巨大な10mぐらいあるハードルの、地面から1メートルぐらいのところまでは登れたかなという感じはしている。

さて今回のガンからのメッセージは何であるかというと、ボランティア精神である。17年ぶりの先輩との再会も、先日偶然にも見ることになったTV番組もそうだったが、最近の私の身の回りで起こるいろいろな事象の共通ワードがそれだからである。実はガンになる前から私は、ボランティア精神に欠けている自分がいやで、自分自身なぜそうなのか非常に理解に苦しんでいた。たいていのことはまっとうなもの(=世の中で良いとされるもの、善行)に対して理解を示し、実行してきた私だが、なぜかボランティアに関してだけは積極的になれない自分がいた。しかしそうなってしまったのはごく最近のことで、逆にそうなる前は街頭で募金を募っていれば必ず募金し、赤い羽根や緑の羽根なども必ずつけるような、どちらかというとボランティア精神溢れる人間であった。ところがいつからか、何をきっかけにそうなったのかはまったく記憶にないのだが、気がついたときにはあまり募金をしない人間になっていた。

これが直接の原因になったわけではないが、昔こんなことがあった。確か街頭で募金を募っていたときのことであるが、そのときは一箇所ではなく何箇所かに散らばって子供たちが募金をお願いしていた。当然私は募金をした。しかし数メートル歩くとまた他の子供たちにお願いされた。私はまた募金をした。でも私だってお金持ちではないから限界というものがある。よって3人目からは協力はしてあげられなかった。するとそのときに誰に言われたかは忘れたが、とにかく「なんだよー、してくれないのかよー、けち!」みたいなことを言われ、すごくがっかりしたのを覚えている。今から思えばそのように思うなんて甚だ情けないのだが、自分の限界を見た気がして、募金に協力することが馬鹿馬鹿しくなってしまったことを覚えている。

限界といえば、特にアメリカに住むようになってからあまりにもそういう機会がありすぎて疲れてしまったというのもあるかもしれない。アメリカでは町中のいたるところで募金を求められ、さらには子供たちが家に協力を求めて訪ねてくる。すべてにいい顔をしているととてもじゃないがお金が持たない。恐らくアメリカ人たちも同じ状況なので、そういうことに慣れている彼らは、自分の気に入ったものにだけ協力してうまくやっていっているのだろうが、不慣れな私はついどれにも協力してあげたいと思ってしまうものだから逆にパンクしてしまい、結局その結果がどれにも協力をしないという最悪な結果を招いてしまったのである。

しかしこれで私のボランティア精神が完全に消え去ったわけではない。ただ単に形が変わっただけというか、目標の設定が変わっただけというか、つまりはビッグプロジェクトに関心が移ったのである。要するに日々の募金への協力といった小さなボランティアに消極的になっただけであり、逆にやるなら大金持ちになってどかんと何かやりたいと思うようになったのである。私が日ごろお金持ちになったらやりたいとよく考えているのは、貧しい国々の人たちのために採算度外視で彼らに仕事を与えてお給料をあげて貧乏生活から救ってあげることとか、日本で不要になったパソコンや洋服やTVや自転車を集めて送ってあげる(しかもゴミを減らすことにもなるので一石二鳥)とかいうことである。

もちろんこういうビッグプロジェクトでボランティアをすることも非常に良い事である。しかしもっと重要なのは、一人ひとりの日々の小さな協力であると思うのである。それが頭では分かっているのに、最近の私は街頭で募金もしなくなってしまったし、世界中で自然災害が起こるたびに募金の協力が呼びかけられ、いくらでも日々の生活でボランティアできるチャンスはあるのに何もやっていない。
だから、そういう人間になってしまってからは、例えば24時間TVで貯金箱を持って武道館に行く人々や街頭で募金に協力をする人、ボランティア活動をしている人などを見るといたたまれない気持ちになる。特に私が尊敬するのは、もちろん著名人などが多額の寄付をすることもすごいとは思うが、それよりもごく普通の一般の人が、少ないお小遣いの中から一生懸命に協力している姿や、給料をもらって働くこともできるのにあえてボランティアで働く人の姿である。私の入院中も多くの方がボランティアで働いていた。私はいつもボランティアの方たちを見るたびに尊敬の眼差しで見ていた。そして恐らく私にはできないだろうと思っていた。

このように、とにかく最近の私はボランティアということに関して悶々としていたのだが、そんな私にまず最初に一筋の光を見せてくれたのが、先日のTV番組であった。フィリピンのごみ山で働く少女を取材した女優の酒井美紀が「私には何もしてあげられない」と言って涙を流していたのだが、私はそれを見て「違う!」と思った。しようと思ったらしてあげられるじゃん、て思った。恐らく彼女は「少女を貧乏生活から救ってあげられない」という意味でそう言ったのだと思うが、確かに少女を完全に救ってあげることはできないかもしれない。残念ながらそれだけの力は私にも彼女にもない。しかしほんの少しのことであれば少女にしてあげられることはたくさんあるはずだ。例えば1万円あれば2、3ヶ月分の食事代ぐらいになるだろうし、病気のお母さんの薬代の足しになるのであり、1万円ぐらいであればなんとか捻出できる金額である。

ちょうどTV番組を見てボランティアについて考えさせられていた矢先に、先輩との再会があった。先輩はボランティアで外国人に日本語を教えていた。そして先輩には、何も労働の対価はお金だけではないということを教えてもらった。先輩はこのボランティアを通じて彼らからいろいろなことを学んでいるのだそうだ。そして先輩の場合は労働の対価として知識や情報を得ているのだと思うが、例えば前述の病院のボランティアの方々の場合は、もしかしたら私たち入院患者からの感謝の気持ちや喜ばれているという充実感からやっているのかもしれない。

というわけで、私がTV番組を通じて学んだのは、何も大金持ちにならなくてもその前にいくらでもできることはたくさんあるということであった。悶々としていたときの私はまさに酒井美紀と同じであった。ALL OR NOTHINGでしか考えていなくて、少しだけ協力する、一部分だけ協力するということをしようとしていなかった。
さっきも書いたが、ボランティアをしようと思ったら日々いくらでも周りにそれができる機会がある。自然災害が起こればすぐに募金のための口座が設置され、お金の協力もできるし労働での協力も簡単にできるようになっている。何も貯金箱を持って武道館までわざわざ行かなくても、今の時代は自宅にいながらにしてインターネットで振込もできるし、電話をかけて募金することもできる。

確かに必要とするもの全部に協力をすることは不可能である。しかし自分に余裕があるとき、あるいはこれと思ったものがあるときに、即実行に移すことが重要だと思った。例えばアメリカン航空の飛行機に乗ると、食事と一緒にユニセフの封筒を渡されることがある。そんなときたった1ドルでもいい、できる範囲で一人ひとりが協力することが重要なのだと思った。なぜならもし500人乗りのジャンボジェット機で全員が1ドル協力してくれたら、たった1回のフライトで500ドル集まるのである。聞けば、中国の貧しい農村では100ドルあれば一人の子供が1年間学校に通えるというではないか。そう考えると、私たちにとってはたったの1ドルでも、そのたった1ドルの協力が持つ力というのは恐ろしく大きいものなのである。

まだ労働でのボランティアをしようという気にはなれていないので、完全に悶々とした気持ちが吹っ切れたわけではないが、とりあえず募金の協力においては、また昔のようにやれる気がしてきた。だからそういう意味で1mぐらいは登れたかなと感じている今日この頃なのである。恐らくこのテーマはまたいろいろな方からご意見がもらえそうなので、それによって労働でのボランティアについても積極的になれるようになることを期待したい。
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みなさんすごいです!おかげでさらにもう1m登れました\(^^)/ はてなブックマークに追加
2007年07月13日 (金) | 編集 |
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<写真の説明>カリフォルニア在住の友人がたくさん持ってきてくれて写真に納まりきれないので、とりあえずその中からほおずきとワインを掲載。こんなに大きなほおずきを見たのは初めてでびっくり!ワインはもちろんカリフォルニアワイン。私はカリフォルニアの香りだけ堪能して、ワインは主人と母へということで(笑)。

先日の友人同様、子供たちを日本の学校に体験入学させるために一時帰国中のカリフォルニア在住の友人が、たくさんのプレゼントを持って私に会いに来てくれた。それにしても彼女は本当に心優しい人だなあと改めて感じた。せっかくこんなにたくさんのお土産を持って会いに来てくれたというのに、私のことを気遣って、ほとんど話さずすぐに帰ってしまった。私も久しぶりに会っていろいろと話したいこともあったので、「痛みのほうは大丈夫だから気にしないで」と何度も彼女に言ったのだが、「いいよいいよ、もう顔見て安心したから帰る」といってきかない。「じゃあ10分だけとにかく座って話そうよ」と言ってようやく座ってもらうことに成功したが、結局10分も経たないうちに彼女は腰を上げて本当に帰ってしまった(笑)。彼女も自分で言っていたが、本当に台風のような訪問であった(^^)。

注:まさかそんな風に思う人はいないとは思うが、最近必要以上に慎重になっている私なので、念のため友人たちに言っておく。何も私はすぐに帰ってくれるほうがいいと言っているのではないので誤解のなきよう(^^)。たまたま彼女の気遣い方がそうだったというだけで、実際私も彼女とはさすがにもう少しゆっくりお話したかったので、ぜひゆっくりしていって欲しい。それに私の性格上、みんなも分かってくれていると思うが、痛くて苦しかったらちゃんと我慢せずにそう言うのでお気遣いなく(^^)。

それでは今日の本題に入ろう。それにしてもみなさんは本当にすごい!やっぱりブログにボランティアのことを書いてよかった!!すべてのコメントに教えられた。私一人ではいくら考えてもこのような考えは出てこなかったであろう。みなさんのおかげでさらに1m進むことができた。コメントくださった方全員に心から感謝を述べたい。
というわけで今日のブログは、コメントを引用しつつ私の考えを記事にしたいと思う。前もって言っておくが、コメントへの返信が目的ではなく、記事を書くことが目的なので、全員のコメントを取り上げることはできないことをご了承願いたい。

まずかんなさんのコメントだが、仕事を通じてお給料をあげると書いたことに関して、私はこのような意見がくることは予想していた。ただ金銭援助をするよりは、そのほうが長期的に見て彼らのためになると思って私だったらこうすると書いたのだが、私の説明不足でうまく伝わらなかったのだと思う。予想できていたのなら対策を採ればよかったのだが、最大の理由は時間がなかったこと、そしてよい言葉が見つからなかったこともあってあれ以上書くことができなかった。そしたらさすがである。ありがたいことに以下の方たちが不足部分をうまく説明してくださっているので、彼らの言葉を借りたいと思う。

Ainさん・・・そのように海外旅行などの外国人からお金をもらう事によって、働けるのにそれに頼って働かなくなってしまったという、地域があることも聞いたことがあります。

しふりんさん・・・僕があなたにしてほしいのは、ただお金を上げることではない。多くの子どもたちは、外国人からお金をもらうことになれると、自分で努力することをやめてしまう。それでは、いつまでも彼らの状況は変わらないんだ。

ぴぃさん・・・本当に大事なのは、彼ら・彼女らが自立して自活できるようになることでしょ。求められるのは、そのためのサポートでしょ。

非公開でいただいたコメント・・・金銭をとりあえず与えて、その場しのぎの幸せを見せるのは良くないと聞きました。それよりも地域全体に技術や知識を提供し、生活レベルの底上げをすることのほうが、どんなにか大きな力があると。

yasさん・・・その場しのぎではなく、やはり、根本、です。

そう、まさに私がしたいと思っているのは、彼らが自立するためのサポート、根本の改善のためのサポートなのである。ただただお金をあげるだけでは、努力することをしなくなるし、お金が切れたときに彼らには何も残らない。だから私はただお金をあげるのではなく、努力をしない人を排除するのと同時に、仕事を通じて彼らに知識や技術を提供することが重要だと思ったのだ。食べ物もただ食料をあげるのではなく、土地環境が許せば、やはり農業を指導することや農耕機械を援助することで、彼らが自分たちで食べていける環境づくりが重要だと思うのだ。

病気で働けない人もいるだろうから、もちろんこれがベストの考えで、ボランティアのすべてだとは思わない。そういう人々に対しては医療や医薬品の提供など別の協力が必要となってくるであろう。よってボランティアと一言でまとめて一つの正解を見つけ出すことは不可能だと思う。従ってこのブログではとりあえず「私が行おうと思っている協力」として考えないとまとまる意見もまとまらなくなってしまうのでそのように考えていきたいと思うが、私が感じているのは、貧しい国々の人を見ると、健康で働きたくても仕事がない、または仕事があっても驚くほど低賃金でこきつかわれているということに問題を感じている(この前見たTVのアフリカの少年もそうだった)。従って私はまずそういうまじめな人たちに手を差しのべたいと思っている。ゆえに彼らに労働をさせることが目的なのではないからこそ採算度外視で給料を渡し、まずは彼らを一刻も早く貧困から救ってあげたいのである。ちなみに貧困問題を語るとき、わが日本も含む先進国の富裕層が目の敵にされることが多いが、くるまえびさんもおっしゃっていたが、私はその国の政府に問題があると思っている。

ところで「あの場で酒井さんが少女にお金をあげたらどうなるか」ということについての心配があったが、もちろんそんなことしたら少女があの場所で今後生きにくくなるのは目に見えているので、そうするつもりなど毛頭ない。私があのように書いたのは、実際に1万円をあげるべきだということではなく、単なるたとえであって、とりあえずそうやって自分にもできることがあるのではないかということが言いたかっただけなのである。しかし当然あの場でお金を渡さないにしても、こっそりと渡すことについてはどうなのか、ということについては、正直私もまだ考えがまとまっていない。金銭的な援助についてはコメント欄でも賛否両論あり、どちらかというと、その場しのぎでしかないから渡すべきではないという意見が大勢を占めていた気がするが、非公開コメントでこのような意見を頂戴した。「今、具体的な手を出さないと死んでしまうギリギリの状況。。。根本的だの祈りだの言ってる間に死んでしまう。日本の貧乏などとはレベルが違う。だから実際、縁あった人にはお金とか薬とかあげていく」という意見だ。

どちらの意見もなるほどなと思うところがあり、つくづくこの問題の奥の深さ、難しさを感じた。私はなんと難しいテーマを軽い気持ちでブログで取り上げてしまったのかと、自分の浅はかさを少し後悔している(^^;)。しかし、みなさんからいただいたコメントのおかげで、なんとなく自分の方向性が見えてきた。そして現時点では、私はこのように考えている。つまり、あくまでも根本を改善するためのサポートを長期的にはしていくことであり、ただその一方で短期的というかまさにその場においては、自分のできる範囲で基本的にはやはり物質的、金銭的、労働によるものとなると思うが、とにかく1日でも長く、1日でも楽に暮らせるような援助をするほうがよいのではないかと。しかしそうするときには必ず何らかの言葉を添えて提供することが重要で、そして何よりも一番大事なのは、相手にとって何が一番かということを考えることであると。私はこのように考えている。

それにしても多くの方がそうだったのではないかと思うが、tararikoさんのコメントは非常に考えさせられるお話であった。常にボランティアについて語るときは「偽善」という言葉がセットになる。人の感情ほど難しいものはないので、私はこれについての解決法は一生見つからないと個人的には思っている。「真の善行というものは、誰にも知られずに行うものである」とtararikoさんが書いていたが、私もそのとおりだと思う。しかし同時に、これにも落とし穴があるなと思ったのは、受け手によっては真の善行でさえ偽善ととられる場合があるということである。よってこの一文でさえ、考えようによってはいろいろな解釈・意見が出てくると思うが、ただしtararikoさんがこの文を持ち出して私たちに訴えかけたかったのは、口でああだこうだ言わなくたって、あきらかに手助けしているといった態度で示さなくたって、その人のためになると思って知らずのうちにやることが真の善行だということではないかと思っている。

この真の善行の対照的なものに著名人や企業の寄付などがあると思うが、私もこれらは偽善的な要素が強く、今まであまり好きでなかった。しかし最近思うのは、たとえ偽善でも何もしないよりはずっとましだということである。特にアメリカでは寄付行為をしないとセレブとは認められないという風潮が強いので、必ず有名な人たちや一流企業はパフォーマンスとして多額の寄付をしたりするが、でもそれで実際に多くの人たちが助かっているのは事実だから、日本のようにあまり寄付行為が盛んでない国よりもましかなと思っている。
しかしそうはいっても、先のtararikoさんの言っていた「偽善だったらかえってやってもらわないほうがまし」と感じる人もいると思うので、これもまた一概にやらないよりはましとも言えないかもしれない。とにかく人間の感情が関わるところは難しい。

最後に私の至らないところとして、ぴぃさんから「今回はお金の話に終始してて、心が貧しいっていうより殺伐としたものを感じたわ。なんか、潤いがないっていうのかしら。それが読み手の気持ちをザラつかせるのね、きっと。でも、それは今回に限ったことじゃないのよね。」と指摘があったが、まさにその通りだと思った。私もお金だけがすべてではないと当然思っているのだが、こうやって例として必ずお金を一番にもってくるところが、やはり私の中でまだお金が一番という気持ちがあるからなのであろう。ここをクリアーできなければ10mのハードルを飛び越えられないであろう。
このように私にはまだまだたくさん学ばなければいけないことがある。そして直していかなければいけないところがある。しかし今回一つ胸をはれることがあるのは、有言実行したことである。2人の方が実際にやられていたが、私もそれを見習って早速国境なき医師団への寄付を開始した。ネットでクレジットカード引き落としが可能であったので、ますます便利になっていた。このブログを読んで一人でも多くの方が思うだけでなく実行に移してくれたら私も本望である。
テーマ:ガン治療
ジャンル:ヘルス・ダイエット
麻薬の変更で現在苦労中(^^;) はてなブックマークに追加
2007年07月16日 (月) | 編集 |
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<写真の説明>高校テニス部からお花が届いた。毎月のお花もすでに2周目。なんて感謝の気持ちを表したらよいのか・・・。それはたった一つ。私がガンを克服すること・・・。

コメントにも書いてあったが、そういえば最近私の体調に関する話をブログに書いていなかった。細かくは毎日いろいろとあるのだが、大きくは特に変化がなかったからかもしれない。相変わらずいっときも痛みが消えることはないのだが、まあそれでも毎日15-19時の魔の時間帯以外は比較的快適に過ごせており、ある意味安定した日々を過ごせていた。
報告が遅れたが、実はコメントでいただいたアドバイスを早速実践し、便秘の副作用を少しでも軽減して薬の量を減らせればと、2週間前の金曜日の緩和ケアのときからMSコンチンをデュロテップパッチに少しずつ移行し始めた。一気に全部を変えてしまうと退薬症状が出てしまうため、とりあえずMSコンチン190mg/日だったので、パッチを5mg/3日とMSコンチン140mg/日でスタートした。この2週間は最初の変更時だけ少し痛みが強く出たが、それ以降は落ち着いていた。とはいっても、結局MSコンチンを飲んでいたので、今までの状況と変化なしという感じであったのだが。しかしこれだけの変更でもすでに便秘の副作用が軽減されたのはすごかった。緩下剤の酸化マグネシウムを2g/日飲んでいたのだが、1.5g/日まで減らすことができたのだ。

おとといの金曜日から全部パッチに切り替え、パッチ10mg/3日になった。ただし私の場合はすでにMSコンチン190mg飲んでいたときに毎日魔の時間帯があったということは、薬の量が足りていなかったということなので、先生からは切り替えと同時に増量も行い、MSコンチンも40mg/日服用するように勧められた。そして痛くないようだったらMSコンチンを飲まなくてもよいと言われた。
おとといはMSコンチンを飲まなくても大丈夫であった。好スタートを切れたと喜んでいたのもつかの間、昨日はMSコンチン30mg必要だった。そして問題は今日だった。パッチが汗ですぐに剥がれてしまうため薬がうまく皮膚から吸収されなかったのが原因だと思われるが、一日中痛くて痛くてまったく起き上がれなかった。1日中痛みと闘ったことで恐らく精神的に疲れてしまったのであろう。痛み自体は普通だったのだが、夜になってとうとう2ヶ月ぶりぐらい?に泣いてしまった。

かなり痛かったので、コーヒー洗腸をやりたくなかったのだが、これと薬を飲むことだけは私の仕事としてやらずには寝られない。レスキュー、MSコンチン、ボルタレンと飲めるだけの痛み止めを一気に飲んで、コーヒー洗腸に挑んだ。さすがにそれだけの薬を飲んだので、痛みのほうはかなり軽くなったのだが、軽い吐き気が出てしまい気持ち悪くなってしまった。

今日のコーヒー洗腸が不成功だったのでまだ分からないが、今日の感触ではもっとカマが減らせそうだ。その点は目的どおり事が運んでいるのでうれしい。まだ安定していないので最終的にどこまで減らせるかは分からないが、現在では1.8gまで減らすことができている。ただ、せっかくカマを減らせている一方で、麻薬のほうを増量しているのでは本末転倒である。もう一つの問題はパッチで、夏のパッチはちょっと考え物かもしれない。すぐに剥がれてしまうようでは薬の量も安定しないし、お金もかかってしまう。とにかくしばらく様子見で、やっぱり問題があるようだったらまた以前のMSコンチンだけの状態に戻せばよい。また変更するとなると調子が狂って今日のように泣きが入るかもしれないが、それは致し方ない。とにかく気軽に戻せると思うことのほうが重要で、常によりよいものへ挑戦することのほうが重要である。

そんなわけで、今日はとてもじゃないがブログなんか書けるような状況ではなかったのだが(実際に今日はPCを一度も開かずに23時に寝たのだが)、0時になって痛みも落ち着いてきたし気力も出てきたので、簡単に報告だけしようと思って書き始めた。ここのところヘビーな内容が続いて、時間もかなりかかったが、こういう単なる体調報告的な内容は気楽だから簡単に書けてよい。さあ、そろそろ寝るとするか。明日は痛みが軽いといいなあ。
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あまりよくなかったCT検査の結果 はてなブックマークに追加
2007年07月17日 (火) | 編集 |
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<写真の説明>母(=自宅庭の梅を使って梅ジャム)と義母(=アイディア)のコラボにより梅雨時のさわやかな一品「梅寒天ゼリー」が完成した。見かけはおいしいそうだが、とても普通の人には甘くないし酸っぱすぎて無理だと思う。でもそれでも私にはものすごいごちそうなのだ(涙)

報告が遅れたが、7月11日に半年振りにCT検査を受け、その結果を先週金曜日に聞いた。ものすごく悪い結果ではなかったが、あまり良いものでもなかった。
以下、主治医からの所見である。
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・直腸の原発巣のサイズがまた少し大きくなっている
・腹膜への転移の数も増えている
・腹膜転移がそのように見えている可能性もあるのではっきりとした転移とはいえないが、肝臓と肺への転移が疑われる。(私も画像を見せてもらったが、半年前とあきらかに違う部分があった。肝臓は半年前はきれいな曲線を描いていたが、今回は一箇所削れている部分があり、肺には白い影が映っていた)
・肺に少し水がたまっている
・骨への転移はない
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現実として痛みがまったく軽減していないので腫瘍が小さくなっているとは思っていなかったが、自分としては、肝臓や肺や骨への転移はなく半年前と変化なし、という予想であったので、今回の結果はちょっとショックであった。Oクリニックでも臓器が強いと褒められたばかりで、なんとなく肝臓と肺への転移はないという自信があったので、それが一番ショックだったかもしれない。しかし臓器の機能が強いのと転移は関係ないので、勝手にそう考えていた私が馬鹿だったのだが。

しかし、これだけの結果を突きつけられていながら私があまりショックを受けていないのは、これが最悪の状態のピークかなあと思っているからである。というのは、やっぱり一番大事なのは、自分の身体の調子だと思っており、その体調がいい方向に向かっているように感じられるからである。Oクリニックの診断でもいい方向に向かっているということだったし。
従って残念ながら科学的にはこのような残念な結果だったが、今後はいい方向に向かうのではないかと思っている。ていうか、向かってもらわないと困る(笑)。というわけで今回は残念だったが、半年後のCTに期待!である。それにまだ闘い始めてから1年半である。もちろんそろそろ結果が出てもいいという考えもあるだろうが、私はそもそも最低3年は必要だと思って始めたので、そう考えればまだまだ半分である。実際にガンを克服した人の例を見ても、1年ぐらいで快方に向かった人もいれば、5年かかってやっとという人もいる。しかも「快方に向かった」だけであって、完全克服にはさらに数年かかっている。よって私の場合は確かに「早い組」には入っていないが、まだまだあきらめる必要はない。むしろせっかく信じて続けてきたのに、ここでだめだと判断して別の方向、特に西洋医学に頼る方向へ行くことなどのないように気をつけなければならない。

それにしてもここ2、3日は食事とトイレとエネマ以外はほとんどベッドで横になっている状況で、ブログを書くのがやっとという状況である。変更中だから苦しいのは当たり前とはいえ、さすがにこうも毎日痛くて起き上がれない状況だと、精神的にも影響してきた。恐らく検査結果があまり良くなかったことも影響しているのであろう。上に書いたように全体的には決して後ろ向きにはなってはいないのだが、痛みが強いと変な気を起こさせるものである。今日も朝から痛くて痛くて、レスキューを飲んだがそれでも少しは楽になる程度でずっとベッドに寝ていたら、よっぽど完治をあきらめたほうがおいしいものも食べられるし痛み止めもマックス飲んで痛みを完全になくすこともできるからそのほうがいい、などという変な気を起こさせる始末であった。今日は一日前向きになれず、独りでひっそりと泣いていた。
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モルヒネ大増量で少し復活 はてなブックマークに追加
2007年07月18日 (水) | 編集 |
食欲がなくなったら最後なのでお腹がすくというのはありがたいことなのであるが、痛くて食べられないのにお腹だけはすくからいやになる。ここ数日間は痛くていつもの半分ぐらいしか食べていなかったので、今朝はさすがにかなり空腹感が強かった。今日も朝から痛くて起き上がれなかったのだが、一瞬痛みが軽くなったのを見計らって起き上がり、とりあえず胃の中に食べ物を入れた。しかし食事中のたったの30分座っていたのが限界で、食べ終わったと同時に片付けもせずにベッドに速攻で戻る始末であった。

通常は起きた直後はそんなに痛みは強くないのだが、出だしからこんな状況だったのでこれから痛みが軽くなるとは到底思えず、よって今日一日に希望を見出すことができず、すべてにおいてもう限界だった。両親が到着したときにはすでにベッドで泣いていた。さすがにそれを見た両親も限界だと思ったようだ。私は母の言うとおりに緩和ケアに電話した。そして急遽処方箋を出してもらったので母に薬を取りに行ってもらい、早速MSコンチン60mgを飲んだ。服用後1-2時間後には効果が現れ、夕方にはやっと以前の状態まで戻すことができた。おかげで夕飯は両親と一緒に食べることができたし、その後の生活もここ数日では考えられないぐらいの快適さだ。

これまでの結果から、どうもデュロテップパッチは私にはあまり合わないようだ。結局今までMSコンチン190mg/日でなんとか過ごせていたのに、現在はパッチ10mg/3日とMSコンチン140mg/日になってしまい、正確には分からないが恐らくこの量はMSコンチンに換算すると380mg/日ぐらいになっていると思われる。ものすごい増量である。これによってせっかく減らせていた緩下剤のカマも元の量に戻ってしまったし、今回の変更はそういう意味では大失敗であった。しかし後悔はしていない。成功しなかったのは残念ではあるが、しょうがないと思っている。

おかげで今は痛みが軽いのでまた前向き思考に戻れた私であるが、昼間のまだ痛かったとき、両親から弟に第二子ができたといううれしい知らせを聞いたというのに、私はものすごくいけないことを考えていた。予定日が3月だと聞いて、私は即座に自分の誕生日が同じく3月なので、その子が私の生まれ変わりだなどと思ってしまったのだ。昨日も言ったように、とにかく人間体調が悪いと何事もマイナスに考えてしまうので、本当に精神衛生上よくないと思った。そしてそうさせる元凶が「痛み」なので、当たり前すぎて今更だが、やはり痛みだけはきちんととっていかないといけないと思った。
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来週木曜日発売の週刊文春に掲載予定です はてなブックマークに追加
2007年07月21日 (土) | 編集 |
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<写真の説明>銀行時代のお客さんが自宅庭でとれた桃を送ってくださった。まさしく正真正銘の無農薬・無化学肥料の桃。桃はなかなか有機のものが売ってないのでとてもありがたい。早速いただいたが、普通の桃に比べて若干甘さに欠けるとはいえ、ほとんど遜色なくものすごくおいしかった。この時代に自然栽培の桃がいただけるなんてなんという幸せだ!!

昨日と今日の2日間、痛みもあるがそれだけが原因ではない。無気力感でほとんどベッドに横になって過ごしている。昨日なんか一度もPCを立ち上げなかった。今日も夜になるまで一度も立ち上げず、どうしてもやらなければいけないこともないし、このまま今日もPCを開くことなく寝ようかと思ったのだが、そういえば記事が掲載される週刊文春がもしかしたら昨日発売ではなかったか?もしそうだとしたら早く知らせなきゃと、その義務感だけでPCを開いた。
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/index.htm
一応このURLでチェックした限りでは、どうやら昨日発売されたものではなかったらしい。ということで、恐らく来週発売の週刊文春に掲載されると思うので、興味ある方はどうぞ。(といっても、別に私が書いた記事ではないんだけどね(^^;))

それでは今日はとにかくこのことだけをみなさんにお知らせするためだけにPCを立ち上げたので、お役目ごめんでもう寝るとしよう。日中もほとんど寝ていたのにいくらでも寝られるのだからいやになる。副作用ももちろんあるが、半分以上は無気力感からくる眠気であろう。痛みのコントロールはなんとかつきそうなので、今度は精神のコントロールがしばらく必要になりそうだ。
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本気になれない自分がいやになる はてなブックマークに追加
2007年07月22日 (日) | 編集 |
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<写真の説明>アメリカの友人からの贈り物。山内一生工房のうちわ。なんとも心憎いプレゼントで、さすが!という感じだ(^^)。「さすが」の意味については内緒にしておこう(笑)。

とりあえず痛みのコントロールはついてきて、無気力感も最悪の状態からは脱することができたようだ。今と比べると明らかに分かるが、やっぱり3日前は確実に「おかしかった」みたいだ。単なるサボリと無気力は違うことが分かった。身体がものすごく重かった。
今はあそこまでの身体の重さはないが、それでもまだ全力を出し切れない自分がいる。なぜなのだろう?私、どうしてしまったのだろう?

れおさんのコメントに「サポートしてくださった人達に感謝する気持ちがあるのならば全力で病気を克服する事だとおもいます。」と書いてあったが、まったくそのとおりで、私も頭では分かっているのだが、どうして全力を出し切れないのか自分でも分からない。やらなければいけないことがたくさんあるのに、食事だってもっと厳格にならなければいけないのに、なぜ本気になれないのだろう。CTであまりいい結果でなかったのに、いったいどこまで自分は追い詰められれば本気になれるのだろう。最近、そんな本気になれない自分に嫌気が差している。

最近主人との会話でよく出てくる言葉に「結果を出している人はちゃんとやるべきことをやっている」という言葉がある。先日金スマで、Qちゃんこと高橋尚子選手のことをやっていた。ご存知の通り彼女はシドニーオリンピックで金メダルを取った後、スランプに陥り引退に追い込まれるほどのつらい経験をしたが、先日奇跡の復活を遂げて誰もが失敗すると思っていたチームQの独立を成功させた。しかし当然その成功の裏では、彼女は人一倍の努力をし、何事にも全力を出し切っていたのである。
写真のうちわをくれた友人も成功している人の一人であるが、彼もやはりやるべきことはやっている。今はかなり時間的にも金銭的にも余裕のある彼であるが、でもここに至るまではそれこそ睡眠時間を削って勉強をし、私たちが高校・大学生活を謳歌していたときにアメリカで苦労していたのである。
この世にただのらりくらりしていて成功した人なんていないと思う。ちなみにまた「成功」とか書くと「お金のことばかり」と言われそうなので(苦笑)、成功ではなく「結果」としよう。それに私もここで言いたいことはビジネス的な成功ではなく、とにかく自分の希望する結果が出せている人のことを論じているので、そのほうが適切な言葉だと思う。

このように結果を出すにはやるべきことをやらなければいけないということが分かっているのに、自分がやれていないことにものすごい焦りがあり、怒りを覚える。本気になれない=決して完治をあきらめているのではない。それどころか妙な自信だけはあり、自分は完治できると思っている。本気でやっていればその可能性もあるだろうが、今の私の状況ではとても完治などできそうもないのに。いったいこの自信はどこからくるのであろうか?単なる自信過剰の性格からくる勘違いなのだろうか?

結果を出すには、100%力を出し切ることがもっとも重要だが、それと同時に向かう方向が間違っていては意味がない。そういう意味ではとりあえず私の進むべき方向は間違ってはいないと思っている。従って今の最大の私の問題は、力を出し切っていないことにある。「力を出し切る」というのはかなり主観が入る言葉なので、どこまでやれば力を出し切ったことになるのか、それは非常に難しい問題であるが、少なくとも自分の中では「100%出し切った」と満足できることは最低条件であろう。ところが私の場合、肝心な自分が不満足な状態であるからぜんぜん話にならない。

ただし、とりあえずこれについては、長い時間をかけて解決していこうと私は思っている。先日の無気力感のときも少し焦ったが、焦ったところでどうしようもなく、それにたったの3日で解決した。今回の問題はそれほど簡単には解決しそうもないが、でも長い時間をかければいつの日か吹っ切れるときがくるような気がする。以前佐藤さんが「今を生きなさい」「できなかったと思うのではなく、できたと思うようにしなさい」と教えてくれたが、今こそそれが必要なときだと思っている。それを実践し、心からそう思えるようになったときに、吹っ切れるような気がする。
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弥生の名前で出ています♪ はてなブックマークに追加
2007年07月24日 (火) | 編集 |
やっと痛みのほうのコントロールがついてきて、今日は久しぶりに一日を通じて快適だった。ちょうど両親が来たとき私は床拭きをしていたのだが、ここのところ痛い痛いとベッドで泣いていた姿しか知らない父は、元気に床拭きをしている私を見てびっくりしていた。

ところで先日報告した週刊文春の記事だが、原稿ゲラを見ただけなので実際はどうなっているかは分からないが、記事の題名は「ガンとお金」、そして私は「木村弥生」という仮名で登場するようだ(^^)。ジャーナリストのS氏が私の誕生日が3月だということを知っているとは思えないので偶然だと思うが、こんな偶然もあるのだなあと驚くとともに、弥生という名前をつけられたことに何かを感じずにはいられない(^^)。

ところでどうでもいい話だがこの「仮名」について、以前から私はなぜ仮名なのであれば単にA子とかB子にしないのか、そして個人的には仮名なのにもっともらしい名前をつけることに少々抵抗感を感じていた。もしかして実は本名を使っていて、(仮名)と表示しているだけなのではないかと疑ってさえいた。しかしゲラには正真正銘私の本名ではなく仮名が書かれていたので、少なくとも本名は使ってないことが分かった。そこでS氏になぜ仮名をいちいち使うのか聞いてみたら、仮名表示にするかAさん、Bさんにするかは基本的には担当者の趣味で、ただ最近の流れとしては記事や番組の真実味をより出すために仮名を使うことが多いそうだ。それを聞いてちょっと納得した私であった。

というわけで、取り急ぎ今日は雑誌を見たところでいったいどれが該当の記事なのかが分からないといけないと思い、その報告まで。
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選択することが重要で、そして選択肢は多いほうがいい はてなブックマークに追加
2007年07月25日 (水) | 編集 |
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<写真の説明>先日の銀行時代のお客さんからなんとうれしいことに第二弾の桃が送られてきた!!例年は数十個しかならないのに今年は200個近くなったそうだ。もしかして私のために神様が・・・!?いやこの場合は仏様であろう。(この意味は分かる人にしか分からない)(^^)

今日の話題は最初コメント欄への返信として書き始めたのだが、普段から私がいろいろな方に同じ内容のことを書いているので、毎回同じことを書くよりはまとめて考えを書いておいたほうがいいと思い、記事にすることにした。

きっかけとなったのは私がゆかぽんさんへ「手術をする前に手術に異を唱えている本を読んだほうがいい」とコメントしたことに対するユキさんの「万が一マインドコントロールされてしまって機会を逃してしまわれることを恐れています。」というコメントであるが、まさに私もユキさん同様の思いであのようにコメントした。おっしゃるとおり私自身がガンを克服していれば何を言っても説得力があり、自分の言葉で言えるのだが、残念ながらそうではないのでそうできないのがいつももどかしい。だからせいぜい私には、本を薦めることぐらいしかできない。

はっきりいって今の私は自然療法にマインドコントロールされている。でも反対に現代日本のほとんどの人は西洋医学の三大療法(抗がん剤、手術、放射線)にマインドコントロールされていると思うのである。マインドコントロールというとイメージが悪いが、いわゆる「信じる道」ということであると思う。当然私は自然療法を信じているので個人的にはこちらをお勧めしたいが、しかし最終的には私は人々がどちらの道を信じ選択してもかまわないと思っている。なぜなら治癒には「信じる」気持ちが重要であり、それに自分で選んだ道であればたとえどんな結果になろうとも後悔がないからである。

よって私がガンに対するアドバイスを求められたときに重要視しているのは「その決断はその人が『選択』した結果なのか」ということである。両方を知っていてどちらかを選択したのであればいいのだが、どちらか一方だけしか知らなくてその道を選択したのであれば、その場合は選択とは言わない。そして選択肢は多ければ多いほどよい。従って、ゆかぽんさんがもし「選択」してないのなら、ぜひ選択して欲しいと思ったので、本をお勧めした次第なのである。

それに実際マインドコントロールなど、そう簡単にできるものではない。ご両親や親戚がガンになり何人かの友人が私にアドバイスを求めてきたので同様に本をお勧めしたが、まったく興味を示さなかったと友人が嘆いていた。私たちの親の世代ぐらい(つまり60代以上)の人になるとますます西洋医学を信じて60年以上生きてきたので、本を読んだ程度で自然療法を選択する人などほとんどいない。私の一番近くにいる私の両親でさえ、自然療法を100%信じきっているわけではないと思う。やはり頭のどこかで、というか西洋医学が身体に沁みこんでいるのであろう。
だから逆に、私がいとも簡単に病院のベッドで本を数冊読んだだけで自然療法に気持ちを切り替えられたことのほうが不思議だと思っている。

ところで世間は「ガン」と一言で言うが、私はガンを語るとき種類も大事だが、それよりもステージなしで語るのは意味がないと思っている。ステージによって大きく判断が変わってくるからだ。そしてこれは完全なる私見だが、ガンの場合、早期がんだけは特別で、ステージ2以上になるとさほど対応に変わりはないと思っている。2以上の場合、ステージによって変わってくるのは治癒のしやすさだけだ。なぜなら治療法はガンの種類に関係なく、玄米菜食や運動や瞑想によるからである。
それから完治の判断基準だが、私は5年生存率はまったく気にしていない。抗がん剤などが奏功すれば2~3年ぐらいは簡単にクリアーできるし、実際に早期がんであれば5年ぐらいはあっという間に過ぎてしまうので完治とは言えないと思っている。私が完治という場合は、最低10年、あとは患者さんの年齢にもよるが、基本的には20年ぐらい何もなかった状態で初めて完治したと言えると思っている。

一応ここで実例として、私が実際にOクリニックで会ったあるガン患者さんの話を掲載しておきたいと思う。Aさんは早期胃がんを完全克服し、今では単なる健康チェックに1年に1度のペースでOクリニックを訪れているのだが、Aさんは手術をしなくて本当によかったと言っていた。私が実際に会ったのはAさんだけで、それ以外はOクリニックの記事からの受け売りだが、手術をしないで克服した人は皆そう言っている。ただそれはOクリニックの考え方が、早期がんは食事療法で治るという考えを持っているからであるので、そういった記事が中心になっているのだと思うから、私はもちろんこれらを鵜呑みにはしていない。
しかしそういう人(=手術をしないで克服した人)はまれで、ほとんどの人は私も含め手術や抗がん剤を経験してからOクリニックに行く人が多いので、なかなかそういうラッキーな人はいない。そして私も含め、やはり皆早くにOクリニックを知っていれば手術をしなかったのに・・・と言っている。

ただし、私はこと「早期がん」に関してだけは、自然療法も西洋医学の手術もどちらも有効であると考えているので、正直非常に複雑な思いである。Oクリニックのように早期だからこそ手術をしなくても楽に治せるという考えもあるし、逆に早期だからこそ手術で完全に切除さえできれば完治する(ちなみに「完全に切除できれば」というのがここでのキーワードである)という考えもあり、私も同様に思うからである。よって私自身もし自分が早期がんだった場合どちらを選択するか、正直今でも悩むと思う。しかし手術、特に開腹手術の場合はかなり術後の後遺症や合併症で苦しむこともあるので(実際私が腸を切除していないのに開腹しただけで苦しんでいる)、開腹手術であれば受けないかなあと現段階においては思っている。開腹しない、例えば腹腔鏡手術であれば受けるかなあと思っている。

私もユキさんもひとえにゆかぽんさんのことを思ってのコメントだったのだが、私のコメントがゆかぽんさんを不安に陥れてしまったことは本当に申し訳ないと思っている。ガンの手術という人生における非常に重要な決断をするにあたり、「申し訳ない」と簡単に一言で済むものだとは思っていない。あのコメントをするかどうかについては、私なりにすごく考えた上での決断だった。医者でもない、ガンを克服したわけでもない私が言うべきではないのではないか、とも当然思って、一度は筆を止めた。しかし目の前に困っている人がいて、みすみす助けずにスルーするほうがいいとは思えなかった。私としては、何も手術をしないほうがいいということを言いたかったのではなく、とにかく「選択」して欲しかったのである。このように一応そういう考えの人たちもいるということを知って選択するのと、まったく知らないで選択するのでは違うと思ったので、私はゆかぽんさんに自然療法の本をお勧めしたのであった。

しかしゆかぽんさんのコメントを見て、私の考えは一方通行だったということが分かった。自分ではいいと思っても、受けて側にとっていいことではないこともある。この前ボランティアの偽善等の話でも出てきたが、まさにそれと同じようなことをしてしまったと思った。ゆかぽんさんは手術をしたかったのであり、どちらかといえばそれを後押ししてくれる、手術をすれば大丈夫だよという意見を求めていたのであろう。それを親切心からとはいえ、まったくその人のためと思ってやったことが逆に不安に陥れることになってしまった。やはりこういうその人の人生を変えるような大事な決断をするときに無責任に関わることは恐ろしいと思った。今後は控えようと思う。
最後に、ゆかぽんさんの場合はかなり早い段階でガンが発見できているので、どちらの方法を選択しても完治の可能性が高いと思う。このように非常にラッキーな状況であるので、過信は禁物だが、ぜひ安心して治療に取り組めばいいと思う。重ね重ね、不安に陥れてしまったこと、ごめんなさい・・・。
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デュロテップパッチは夏には不向きかも はてなブックマークに追加
2007年07月28日 (土) | 編集 |
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<写真の説明>「時期になったら送るね」と言ってくれていたので去年からずっと楽しみに待っていたゼミの友人の親戚の桃が約束どおり届いた!無農薬ではなく減農薬の桃ということであったが、やっぱり味はおいしい!!味と安全は反比例するから困ったものである(^^;)。みなさんのおかげで大好きな桃に囲まれてうれしい毎日(^^)。


麻薬系の薬を経口型のMSコンチンから貼付型のデュロテップパッチに変えたことで、副作用の便秘が少し緩和されたのはよかったのだが、その一方でいろいろと問題も生じている。まずは恐らく私の吸収力が悪いのだと思うが、パッチにしてから麻薬の量が増えてしまったこと、貼付型なので痒いこと、それから一番の問題は剥がれやすいことだ。夏場は汗をかくし、シャワーを浴びる回数も増えるのでどうしても剥がれやすく、貼付型のデュロテップパッチは夏には不向きかもしれない。今日もどうしてこんなに痛いのかと不思議に思っていたら、案の定パッチが剥がれていた。そしてパッチのさらなる問題は張り替えても効果が出るまでに6時間かかるのでそれまでは痛みに耐えなくてはならないことである。今日も結局そのおかげでほとんど起きられず一日中ベッドで過ごすことになってしまった。それともう一つの問題点は、薬価の高さである。もともと麻薬は高いのに、その中でもパッチは高いほうなのでかなりの負担である。それなのにこんなにしょっちゅう途中で張り替えるのではたまらない。

というわけでこれだけ読むと悪いところばかりが目立つパッチだが、とりあえず私にとっては便秘が少しでも緩和されたことが何よりもうれしいので、今のところはパッチをやめるつもりはない。それに薬剤も複数のほうが、私のような複雑な痛みに対してはいいような気もするからだ。やはり先生も言っていたのだが、MSコンチンが効果を発揮しやすい痛み、あまり効かない痛みというのがあるらしい。よって私は剥がれるからやめる、のではなく、どうやって剥がれないようにするか、というほうで努力していくことにした。

ところで例の雑誌の件だが、S氏に確認したところ来週木曜日8月2日には間違いなく掲載されるであろうとのことであったので、とりあえずご報告まで。
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2007年07月31日 (火) | 編集 |
sajitomato.jpg
<写真の説明>生まれたときから私のことを知っている実家の近所の90歳近い?おじいさんが、私のためにと自家栽培のトマトを下さった

つい先日痛みのコントロールはついたとブログにも書いたし、私もさあこれからだと前向きになるようにがんばろうとしていたら、もうすでにこの2、3日で痛みのコントロールがつかなくなってきてしまい、私も少々精神的に参っている・・・(^^;)。今までの仙骨の痛みはブロックできているのだが、新しく肛門ぎりぎりの内側あたりが痛むようになり、昨日も今日もほとんど動けずで、昨日はその痛みでかなり寝にくかった。
とくにこの肛門痛は食後に起きることが多いため、最近は必ず食後に1時間ぐらい横になる必要が出てきてしまい、それがまたさらに私の貴重な時間を奪っていく・・・。

このように痛みはちっとも良くならないどころか増すばかりで、外出もままならなくなってきている現状から、じり貧状態という感じがしている私の心は暗い。そしてさらにそれに追い討ちをかけるように先日のCTの検査結果が悪かったので、今の治療法が延命にはかなり効果を上げていることは実証済みだが、やっぱり完治は無理なのかなあなどと、マイナス思考に陥っていく私である・・・。やっぱり完治できる!と思っているのは単なる過信のような気がしてきた。

そしたら今日、私の子宮に異変が生じた。ガンになってからこの1年半、まともな生理というものが1回も来ていないのだが、元々生理不順であったことと卵巣を手術で1つとったためしょうがないということもあり、生理についてはあまり気にしていなかった。それにどっちみち今はこういう状況にあるので、今更子宮がんだと言われても動じないし、どうすることもできない。まあそのうちなんとかなるであろうぐらいにしか思っていなかった。そして体質改善すればガン同様に生理不順も治るであろうから、それでいいと思っていた。

私の場合もうかなり長い間、生理のように大量に鮮血が出ることがなく、だからといってまったく血が出ないというわけでもない、とにかく毎日少しずつ出血があるという状態が続いていた。よってずっと生理用ナプキンはしているという、男の人には分からないと思うが、ものすごく不快な生活であった。それが今日、1年半ぶりに生理のような出血があったのである。つまり、子宮が少しではあるが本来の機能を取り戻してきたようである。私はこの現象を、くじけて不信になっている私に対する、信じてがんばれという神からのメッセージと感じた。日中の倦怠感も夜になったら少し改善したし、ここ最近の不調はたまたまだったのかもしれないと、また少し前向きになれるようになってきた。もし今日の生理が私が思っている通りなのであれば、確実に身体は良い方向に向かっているということになる。どうかそうであって欲しい(祈)。
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