西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています

手術前の各種検査 はてなブックマークに追加
2006年02月09日 (木) | 編集 |
とにかく手術前はいろいろな検査が必要だ。私の場合直腸ガンということもあって、直腸の近くには子宮や膀胱やとにかくいろいろな臓器が至近距離にあるため、そっちへ浸潤していないかを見ておいたほうがいいということで、通常の検査にプラスして婦人科検診もやることになった。婦人科検診は痛かった。またもや大泣き。直腸MRというのは楽だった。よくTVとかでも見るやつで、大きな検査機器の中にずずーっと入っていくやつだ。自分はただ台の上で寝ていればいい。しかし、まさか検査前に痛い注射を打たれるとは思っていなかったので、それがショックだった。

検査の中での最大の難関は大腸内視鏡であった。1月17日の記事に、いかにアメリカでの内視鏡がつらかったかは書いてあるが、それがトラウマになっていたので、もう何週間も前からどきどきしていた。でもとにかくこれを通過しなければ先に進めない。もう一度大泣きするつもりで挑んだ。
しかし早速内視鏡検査を受ける前の下剤を飲む段階でつまずいた。アメリカでは自宅でまずーい下剤を飲んだが、量はさほどではなかった。10分間隔で3回に分けて飲むのだが、1回あたりに飲む量は250ccぐらいだったので、トータル30分間で750cc飲めばよかった。一方国立がんセンターでは、病院内の一室に机と椅子が所狭しと並べてあり、そこで患者さん15名ぐらいが一斉に2リットルの下剤を飲む。味はまずいポカリスエットのような感じで、思ったよりはまずくなかった。しかし普段からあまり水分を取り慣れていない私にとって、2リットルという量がものすごくつらかった。私がまだ500ccぐらいしか飲めていないのに、他の人たちは、みるみるうちに2リットルを飲み干し、次々にトイレに消えていく。腸がきれいになった人から順番に内視鏡検査を受けられるので、ある種競争みたいになっていた。私は一番最後になるのを覚悟でゆっくり飲んでいた。でもこれはあまりゆっくり飲んでもいけないらしい。一応1時間で2リットル飲んでくださいと言われた。とっくに1時間が経過したが、私はまだ1リットルしか飲めていなかった。もうだめだ、これ以上飲めない。でも検査をするからには、腸をきれいな状態にしておかないと検査の意味がない。とりあえずあともう少しだけ!と思ってがんばって500cc飲んだら、気持ち悪くて吐いてしまった。吐いたら下剤を追加されると聞いていたので、つらくて涙が出てきた。看護婦さんにとりあえず吐いてしまったことを伝え、でももうどうしてもこれ以上は気持ち悪くて飲めないということを伝えると、とりあえずもう飲まなくていいと言われ、ほっとした。もうこうなったらあとはなんとか検査に支障のない程度に腸がきれいになってくれていることを祈るしかない。

結局予想通り、私の検査は一番最後になった。朝の10時に病院へ集合、内視鏡検査を受けられたのは午後4時近くになっていた。もちろん前日から絶食状態だ。でももう絶食には慣れていたから、みんなが想像するほどはそれに関しては苦しくなかった。
さて最大の難関が近づいた。検査台に寝かされたとたん、私は半泣き状態。先生たちがびっくりして「どうしたの?」と聞いて来た。私はアメリカでのいきさつを説明(看護婦3人に押さえつけられた話)、とにかく麻酔を増やして痛くないようにして欲しい、ということを切々と訴えた。もちろん麻酔も普通より増やしてくれたようだが、それにしてもなんなのだ?このあまりの違いは??つまり、そんなに痛くないし苦しくないのだ。看護婦さんに押さえつけられるどころか、途中で足を組んでくださいという指示にもなんなく対応でき、無事検査は終了した。自称”日本で一番内視鏡の上手な先生”にやってもらったということもあるだろう。またこういう繊細な検査はやっぱり日本人のほうが合っているのかもしれない。とにかく最大の難関もこうしてなんとか無事終了した。

内視鏡のあとはすぐにCT検査をした。本来は内視鏡検査後ある程度休息しなければいけないようだが(そのためのリラクゼーションベッドが用意されている)、私の場合時間が押せ押せになっていたので、休息させてもらえなかった。CT検査もMR同様、台の上で寝ているだけのさほどつらくはない検査だが、ガンセンターの依頼で、最新機器で検査をして欲しいと言われ、このCTの場合は肛門から空気を入れられるので、お腹が張って苦しいというのがちょっとあった。あと、私の場合、かなり痩せてしまってお尻の肉が削げ落ちているため、検査台が硬いので骨が当たって痛くて、もうこれ以上我慢できない!というぐらいまでいった。まあこんな感じで検査もいろいろつらかったが、なんとかすべてこなし、あとは検査結果と手術日を待つだけとなった。
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待ちに待った検査結果 はてなブックマークに追加
2006年02月16日 (木) | 編集 |
今日は待ちに待った検査結果を聞きに行く日だ。いったいなんて言われるのだろう・・・天国か地獄か・・・。主人と母と私の3人でどきどきしながら診察室へ入った。
開口一番、先生は「肝臓と肺への転移はありませんでした。婦人科検診のほうも問題はありませんでした」と言った。一同ほっと胸をなでおろす。「しかし、右の卵巣が肥大化しているのが気になりますね。卵巣はとることになるでしょう。子宮はわかりませんが、子供を産む可能性はあるんですか?」「いえ、ありません」「そうですか、じゃあ場合によってはとるかもしれません」「はい、けっこうです」「問題の人工肛門についてですが・・・たぶんならなくてすむと思いますよ。実際あけて見ないと分かりませんけどね」「はー、それだけはなるべく避けるようにぜひお願いします。で、先生、結局のところステージはいくつなのでしょうか?」「ステージ2か3でしょうね。1の可能性も否定はできませんがその可能性は低いと思います。」「そうですか」「ですので、手術してとってしまえば、5年生存率は2の場合は80%、3の場合は70%ですから安心してください。とにかく希望を持って安心して大丈夫ですよ」「ありがとうございます。それでは手術よろしくお願いします」

なーんだ、ガン=死と思って一時は落ちこんだけど、ぜんぜん大丈夫なんじゃーん。3人ともほっとして、病院を出た。まさに気分はジェットコースターだ。アメリカでガンと分かってどん底に落ち、でも日本に帰ってきてからいろいろリサーチをしてみると、大腸ガンは今やさほど恐れる必要のないガンだということが分かり気分も楽になり、さらに検査結果でステージ2か3と聞いて、ますます希望が沸いてきた。手術さえすれば治る。そう確信できた日であった。
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手術、そして最悪な結果へ はてなブックマークに追加
2006年02月22日 (水) | 編集 |
アメリカから日本に緊急帰国してからちょうど1ヶ月。とうとう手術の日がきた。ストレッチャーに寝かされ手術室へ運ばれるとき、思わず涙がこぼれた。私は一言「がんばってくるね」と言って手術室へ入っていった。まずは麻酔の精髄注射を打たれた。これは中学1年のときの盲腸の手術で体験済みだったから、さほどつらくはなかった。そして次に口に全身麻酔の呼吸器みたいなのをつけられ、1回吸ったらまぶたがガクーンと重くなり、2回目で私の意識は完全に遠のいた。

手術後2、3日は術後管理病棟に入る。麻酔から目が覚めたとき、私は真っ先に人工肛門になっているかどうかを確かめた。もちろん手足は動かない。あくまでも感覚だが、なんとなくそうなっていない感じだ。よかった・・・。人工肛門は避けられたんだ!私は手術の結果を知らずに、ただただそれだけがうれしかった。時間を聞くとお昼すぎぐらいだった。朝一番の手術だったから「けっこう早かったんだな。まあそうだよな、人工肛門になる場合は6時間ぐらいかかるっていってたけど、そうじゃない場合は3時間ぐらいって言ってたもんな」ぐらいにしか思っていなかった。そして疲れと眠気とで、家族と話す気力もなかったので、少し眠るからご飯を食べてきてと言った。眼鏡をしていなかったのでそのときの家族の顔色はわからなかったが、まあ恐らく相当引きつっていたんだろう。あとで聞いた話だが、とりあえず主人、母、義母の3人で食堂へいったものの、あまりのショックで食事もほとんどのどを通らなかったそうだ。そりゃそうだよな、開腹したものの、転移が予想以上に広がっており、卵巣だけとってあとは何もせずに閉じちゃったんだから。だから手術時間もたったの1時間半で終わったそうだ。
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余命1年の宣告 はてなブックマークに追加
2006年02月23日 (木) | 編集 |
手術当日のことはあまり覚えてない。家族ともあまり話さず終わってしまった気がする。夜、とにかく口が渇いて、水が飲めないから、何度も水を含んだ脱脂綿で口を濡らしたことだけ覚えている。ばっちり痛み止めをしているから痛みはあまりなかったように思う。こうして翌日を迎えた。翌日から早速身体を動かすように言われ、まずはベッドに身体を起こすことから始める。身体を動かすのは、合併症を防ぐためだ。看護婦さんに支えられてようやく身体を起こすことはできた。次に立つように言われたが、ふらふらしてどうしてもその日は立つことはできなかった。

午後、主人がお見舞いに来てくれた。そして手術の結果はもう聞いたかと聞いてきたので、まだ聞いてないと言うと、顔を曇らせながらこう切り出した・・・。「お腹開けたけど、結局何もできずに閉じたんだって・・・」「え・・・!?それって・・・」「ステージ4だったみたいだよ・・・」「そうなんだ・・・」「・・・」「・・・」
またジェットコースターでどん底に突き落とされた。手術さえすれば終わると思っていたのに、まさかそんなことになっていたなんて!!予想だにしなかった結果だった。そのとき涙が出たかどうかはもう覚えていない。涙も出なかったんじゃないかな。とりあえずしばらくして主人は帰っていった。

夜の回診でA先生が私の所に来た。先生に手術の結果を聞いた旨を伝え、正直なところあとどれぐらいなのかと尋ねた。すると先生が大きな声で「あと1年ぐらいは大丈夫だと思うんですけどねえ」と言うではないか。1年!!!!????そうか、そんなしか私は生きられないのか・・・。当然愕然としたが、恐らく通常の人が愕然とするよりはたぶん私の場合そんなに落ち込まなかったと思う。自分でも不思議なくらい冷静に受け止めた。そして自分のことを悲しむ前に、むしろ同室の人を気遣ってしまった。だって、みんなガンで入院しているのに、いくら他人とはいえ、あと余命が1年だとかいう話を聞いたら、落ち込んでしまうではないか。しかもそこは術後管理棟で、手術したばかりの弱っている患者さんがいるところだ。ちょっと先生のデリカシーのなさを恨んでしまった。

その夜は、余命1年という事実を冷静に受け止めると同時に、あと1年どうやって暮らしていこうか、仕事をとにかく引き継がなきゃ、人はどうやって死ぬのだろうか、死ぬのは怖くないが、苦しみながら死ぬのだけはいやだ、そんなことをつらつらと考えながら眠りについた・・・。
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バリアフリーの必要性を痛感 はてなブックマークに追加
2006年02月24日 (金) | 編集 |
手術後2日目、ようやく立ち上がることができた。足を少しずつずらしながらなんとか前へ進む。その遅さといったら、亀どころではない。足をずずーっと前へ10㎝ぐらいずらすのに30秒ぐらいかかるのだ。だからほんの数メートル歩くのに、何十分もかかる。それでも歩かないよりはいいということで、何十分もかけて身体を動かした。家族が一緒に付き添ってくれたが、恐らく普通の人からすると、とても歩いているとは思えないであろう。ほとんどただそこに立っているのと変わらないのだから。でも本人にとっては、ものすごい痛みと闘いながら、ものすごくがんばって歩いているのだ。私はとにかく痛みに弱いので、痛み止めを何度も追加注入してもらった。

看護師さんが体重を計るため体重計を持ってきてベッド脇に置いた。立ち上がることはできるものの、どうしても足を体重計の上に乗せることができない!!たったの5㎝なのに!!どうがんばってもその5㎝の台の上に足を持ち上げられないのだ。このときにバリアフリーの必要性を痛感した。平坦であればなんとか足をずらして歩くことができるが、5㎝の段差は乗り越えることができない。普通の人なら5㎝なんて段差のうちに入らないと思うが、いざ病人になってみると、いかにその5㎝が大変な障害なのかということを思い知った。

とりあえず術後2日目は、まだ食事も出ないし、尿管を通しているからトイレも自分で行くことはないので、歩いたことだけでも十分目標達成できたと言える。というわけで、痛みと闘いながらも、達成感ですがすがしい気持ちになっていた。
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食事開始、一般病棟へ はてなブックマークに追加
2006年02月25日 (土) | 編集 |
手術後3日目で、もう食事が開始された。最初は出された量の2%ぐらいしか食べられなかったが、6日目ぐらいには80%ぐらいにまでなった。普通大腸ガンの手術の場合、かなり食事の量など制限があるのだが、私の場合は幸か不幸か何もしなかった・・・つまり腸を切ってないので、食事は普通食だ。術後3日目にして尿管がはずされた。そして痛み止めを注入する背中に突き刺さっていた管もはずされた。どんどん身体から管がはずされていき、かなり身軽になってきた。足をひきずりながら歩くのは変わっていないが、それでも歩くスピードが日ごとに見違えるほど速くなっていく。外科的な回復は本当に早い。

4日目に術後管理棟から一般病棟へ移った。がんセンターのすごいところは、大部屋といっても、せいぜい4人部屋、しかも部屋ごとに専用のトイレとシャワーがついていることだ。部屋も明るくきれいで広く、まるでホテルのよう。しかも私の部屋はラッキーなことに2人部屋だった。これで個室料金がかかっていないのだからありがたい。同室のお姉さんも同じく大腸ガンで、私より10歳年上だが、とても気さくでいい人で、本当に彼女のおかげで入院生活を楽しく過ごすことができた。笑いの絶えない毎日だった。やはり今も強くそう思うが、たったの2週間とはいえ、入院生活を楽しく過ごせるかどうかは、回復にも大きく影響してくると思うし、ましてや私の場合、末期ガンを宣告された身なので、笑いながら過ごせたことはものすごく重要なことだと思う。

術後5日目で、痛み止めもストップした。最初はストップしたらどのぐらい痛くなるのかとドキドキだったが、ほんの少し痛みが強くなった程度で、ほとんど変化なかった。あとは点滴だけだ。あー、早く点滴をはずして身軽になりたいものだ。
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下手に痛いなどと言うべからず はてなブックマークに追加
2006年02月26日 (日) | 編集 |
いやはや今日はまじでひどい目に遭った。先生が回診で手術跡やお腹を触りながら「痛いですか?」と聞くので、正直に「痛いです」と答えた。そしたら「感染症かもしれないな、傷口を開けて見てみよう」と言い出したのだ。それを聞いて私は叫んだ。「え?傷口を開ける?ここでですか?」「そうだよ」「え、ちょっと待ってください。もしかしたらあまり痛くないのかも」「でも君、感染症だったら大変なことになるよ」
私は恐怖心で身体ががくがく、顔はこわばり、大泣きした。「先生、待って下さい、待ってください!!!!!」そう泣きながら言うのが精一杯だった。だって傷口を開けるって、すごいことじゃないの????こんなベッドの上で麻酔もかけずにやるようなことなわけ???
先生も私があまりにも抵抗するのでちょっと怒り気味になった。私は観念した。身体はがくがく震えている。大泣きしたときのしゃくりあげ状態になっている。バチンバチン!大きな音がした。今まで怖くて傷口を見たことがなかったので知らなかったのだが、どうやら音から判断するに、ホチキスみたいなもので傷口をとめているらしい。糸で縫ってあるものとばかり思っていたので、ものすごくびっくりした。でも痛みは思ったほどではなかった。

「感染症ではないみたいだね」先生はそう言った。当たり前じゃないかあ!!ものすごく後悔した。ちょっとしか痛くなかったのに、痛いなんて下手に言ってしまったものだからこういう展開になってしまった。でも痛いときは我慢せずに言ってくださいと言われていたし、さんざん痛みをなくすのが重要だと言われていたので、つい言ってしまったのだが、今後は自分である程度判断して、医者に伝えるべきものかどうか決めなくてはいけないと思った。それにしても、今思い出してもこのときの私の姿は笑える。だって先生は問題がないことがわかるとさっと帰ってしまい、私はベッドの上でひくひく泣きながら約1分間放心状態、着物ははだけたまま、まさに変な話、レイプされたかのような状態であったのだ。その点、看護師さんというのは丁寧だ。必ず脱いだ後は着物を元に戻してくれる。こういうところにも、医者と看護師の違いを感じた。
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神経性頻尿 はてなブックマークに追加
2006年02月28日 (火) | 編集 |
点滴もはずされ、すごく身軽になった。点滴をしていると、いちいちベッドを離れるときにバッテリーのコンセントをはずさないといけないし、ベッドの反対側へ行くことができないし、点滴の針が刺さっているところを気にしながら寝ないといけないしで、やっぱり不便だった。身軽になったことで、気持ちも明るくなった。

しかし、一つ困ったことが起こった。1時間おきぐらいに尿意で目が覚めトイレに行くので、夜ほとんど寝られなかった。でもそれは点滴をしているからしょうがないことだと思っていた。だから点滴がはずされたらぐっすり眠れるだろうとものすごく期待していたのだ。なのに!!点滴をはずしたにもかかわらず、同じように1時間起きに目が覚めるではないか!!なぜなんだ!!??ものすごくイライラした。目が覚めるたびに時計を見るのだが、うわっ、前回からまだ1時間しかたってない・・・とがっくりしたものだった。

そこで主人のリサーチにより持ち上がってきたのが「神経性頻尿」。症状を見るとまさにそのものだった。症状といっても大したものではないのだが、要するに膀胱とかに問題がなく、1日10回以上、就寝中に3回以上トイレに行く場合は神経性頻尿と呼ぶのだそうだ。そして唯一の克服法は「気にしないこと」。なーんだ、そうだったのか。病気はなんでもそうだが、病名やその原因がわかるとちょっとホっとするところがある。私も原因がわかったので安心し、これからは夜トイレに起きても時間を見ないようにした。そしてイライラしないようにした。実はそれから2ヶ月たった今でも変わらないので、どうやら神経性頻尿ではないみたいだが、とにかくイライラしないようにするだけでも気持ちが楽になった。いったい原因はなんなのかなあ。
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