西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています

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2005年07月02日 (土) | 編集 |
それは私にとっては突然降って沸いた、信じがたいがまぎれもない事実だった。その名も直腸がん。当時アメリカ・カリフォルニアに住んでいた私は、2005年夏ぐらいから便通異常を感じており、9月に一時帰国した際日本(聖路加病院)で受けた便検査で潜血異常があったものの、忙しいのを理由に大腸内視鏡検査を後回しにしていた。しかし年末になり日常生活にも支障をきたすぐらいの状況になってきたため、とうとう大腸内視鏡検査を受けたのだった。そしてその場でガンと宣告された。

それにしても、ガンの宣告ってもっと重々しい状況でされるのではなかったっけ?薄暗い部屋でレントゲン写真なんかを見ながら、これがガンですね・・・みたいな。だからあまりにも軽く言われたので、自分としてもガンというよりは「ポリープがありますね」ぐらいに言われた感じだった。その場では。しかし家に帰って冷静になってくると、ひしひしと自分がガンであるという事実に恐怖を感じた。そしてなんで私が?と、この悲しい運命を恨んだ。しかも私は35歳という若さである。とくに若い人の進行は早いというからとにかく焦った。その夜は夫と一緒に泣いた。久しぶりに大泣きした。

詳しい日々の状況は別途日々の日記に書くことにして、とりあえずここではこのブログを書く意味というか意義を説明しておきたい。ちなみにこの記事の日付は時系列の関係上2005年7月にしてあるが、実際にこれを書いているのは2006年4月2日である。上述のとおり自覚症状的なものが出始めていたのが2005年の夏ぐらいからだったので、読む人が分かりやすいようにそのころにさかのぼって記録をつけていこうと思う。ガンを宣告されたのが1月17日だから、すでに3ヶ月ぐらいが経過しているが、その間手術を受けたり、抗がん剤治療を受けたりで、とてもブログなど書いている余裕はなかった。ようやくこうしてパソコンに向かえる時間が出てきたのだから前進と言えようか。

正直言って、いわゆる闘病記的なブログを書くつもりはなかった。ネットでいろいろなブログを参考にさせてもらったので、できれば私もそのように少しでも貢献したいという気持ちはあったのだが、とにかく余裕がなかった。ではなぜ書くことにしたのか。それは父からの1通の手紙がきっかけだった。父とは仲が悪いわけではなかったが、子供のころからそんなにじっくりと会話を交わすこともなく、むしろ関係は親子というより友達のような感じだった。私のことに興味関心を示すこともあまりなかった。そんな父が突然私に手紙を書いてきたのである。びっくりしたと同時にものすごくうれしかった。そしてその手紙の中に「おまえの生き様を、命をかけてブログに書いたらどうか。そうすればいつでもおまえの様子が分かるし」と提案が書かれていたのだった。

この父の一言がきっかけで私はブログを書くことを決めた。そしてせっかく書くからには、少しでも同じ病気で苦しんでいる人の役に立ちたいと思う。よって、基本的にはこのブログは私の日々の様子を家族や友人に伝えること、そして自分の記録としての役割が主ではあるが、単に今日は何をした、ああした、こうした、というような自己満足的な日記にはせず、主にガンにまつわる話題及び私の体調報告を書いていこうと思うので、その点をご了承願いたい。私もそうだったが、闘病の日々の様子を読むことは、同じ病気で闘っている人にかなり役に立つと思う。

最後に、このブログのタイトルを「闘病記」ではなく「復活の記録」にしたのは、私はガンで死ぬつもりはないからである。あくまでもガンを克服し、完全復活するまでの成功ストーリーの記録と思っているので、このようなタイトルにした。また内容的には、友人には恥ずかしくて言えないようなことも正直に書いてある。直腸ガンということで、とにかく便や肛門の話ばかりが出てくるが、それもご容赦願いたい。男性の友達に読まれるのは恥ずかしいが、もうここまできたらそんなことも言ってはいられない。こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから。

それでは、このブログを読みながら、私の復活を見守ってください。今は自分のことで精一杯で、みんなに会ったりする余裕はまったくないけど、もう少ししたら会って話せるときも来ると思うので、それまで待っててね!
テーマ:ガン治療
ジャンル:ヘルス・ダイエット
自覚症状が出始めていた時期の話 はてなブックマークに追加
2005年08月03日 (水) | 編集 |
正確には分からないが、記憶では、当時アメリカ・カリフォルニアに住んでいた私が便通異常を感じ始めたのは2005年の夏ぐらいのことだった。それまで35年間快便で、下痢も便秘もほとんど経験したことのない私だったが、頻繁に便意を感じるようになり、トイレに行く回数が急に増えてきたのである。それは通常3回くらいであったが、多いときで1日に5回ぐらいになることもあった。しかし、当然何度もトイレに行っているから、行っても出ないこともしばしばあった。そして当時はもちろんそんなこと想像もし得なかったのだが、私が便意と感じていたのはどうやらガンの疼痛だったらしい。そうとは知らずに、便意と勘違いし、思い切りふんばるものだから、そりゃあ痔にもなりますわな・・・。

とにかくこの時期は、毎日その繰り返しを行っていただけだった。ただそれ以外に取り立てて具合が悪いところはなく、食欲もあったので、あれ~?なんか最近便通がよくないなあ・・・ぐらいにしか思っていなかったのである。
初めて痔を経験 はてなブックマークに追加
2005年09月28日 (水) | 編集 |
2005年9月に友人の結婚式に出席するため、日本に一時帰国した。さらに主人のいとこの結婚式にも出席するため九州・宮崎へ行った。九州へ行ったついでにと、鹿児島旅行をしていたときだった。そのころあたりからだんだん肛門痛を感じるようになっていたのだが、9月23日には我慢できないぐらいの痛みを感じ、薬局で痔用の軟膏を買って塗ってみた。生まれて初めて自分の肛門を触った。自分としてはものすごい屈辱だった。しかし、その薬が効いたのか、とにかく痛みは2日で消えた。よってそのときは痔になったのだと思っていた。

アメリカでは保険に入ってなかったので、なかなか医者へ行くことができず、東京へ戻って早速9月28日聖路加病院の内科外来へ行った。医者は私の症状を聞いて、とりあえず血液検査と便検査をするよう言った。そして便を軟らかくする薬を処方した。私はそのときは自分の便が硬いとは思っていなかったので、便を軟らかくするだと!?何馬鹿なこと言ってるんだ、そんなの飲んでどうするんだ!?と思い、薬局にも行かなかった。1週間後、聖路加に検査結果を聞きに行った。血液検査は問題ないが、便に潜血異常が見られたと言われた。私が「それって健康な人でも潜血があることがありますよね?」と聞くと、「はあ、まあ・・」となんとも頼りない返事が返ってき、「まあ若いので大腸がんではないとは思いますけど、医者としては教科書的に言えば、便に潜血があった以上、大腸内視鏡検査を受けたほうがいいとしか言いようがないんですよ」と言われた。自分の責任で内視鏡検査を先延ばしにしたのだから別にこの医者を恨むわけではないが、もしあのときこの医者が便に潜血があったことをもっと重大なことと諭してくれていたら、あと半年私のガン発見が早くなっていたかもしれない・・・。

とにかくアメリカに戻る日が迫っていたので、日本で内視鏡を受けている時間はなく、医者に「じゃあなんであなたは病院に来たんですか?」と叱責されたが、自分としてはまさかさらなる検査が必要になるとは思っておらず、むしろ「何も異常ないですよ」という言葉をもらって安心するために病院へ行ったので、困惑してしまった。そして10月中旬アメリカに戻った。
大腸内視鏡を受けるまでの症状 はてなブックマークに追加
2005年12月19日 (月) | 編集 |
日本に一時帰国していたとき、ある友人からオーガニック野菜生活の話をとくとくと聞かされ、夫婦ともどもすっかり感化され、アメリカに戻ってすぐにオーガニック野菜生活にした。それまでは、必ず夕食のメインは肉か魚を出していたが、それからは野菜中心のメニューになり、肉も魚も食べない日が続くようになった。すると1週間もしたらなんだか体調がよくなってきて、便通も改善された。これですっかり気を良くしてしまい、あとで思えばこれがまた検査を遅らせる要因ともなったのだが、とにかくこのときは食べ物でこんなにも体調が変わるものだと実感した。

しばらく調子が良い日が続いていたが、1ヶ月も経たないうちにまた便通が悪くなってきた。下痢と便秘を交互に繰り返すようになってきた。そして常に腹部膨満感を感じ、寝ていると楽な感じがして、ベッドで横になることが多くなってきた。12月に入るとさらに体調が悪くなり、一日中ベッドに寝ていることもあり、日常生活にも支障をきたすようになってきた。食欲もないため、体重も減った。当時は少し痩せたいと思っていたので、むしろ体重が減ったのはウェルカムであった。

さすがに長期間異常が続いていたので、保険に入ってないとも言ってられず、12月19日に医者へ行った。そして大腸の専門医を紹介してもらい、大腸内視鏡の検査予約を1月31日に入れてもらった。アメリカでもやはり人気のある医者は予約で一杯だ。それにしても、医者に「便の色はどうですか?血便は出てますか?」と聞かれたときには焦った。なぜなら自分の便を見たことがなかったからである。一度も見たことがないというわけではないが、毎日自分がしたものをチェックする習慣はなかった。肛門は触ったことがないし、便も見ないし、お嬢様ってわけでもないが、案外お嬢様っぽい生活?をしていたものだと、自分で妙に感心してしまった(笑)。

以前は肛門が痛んだが、このころになるとむしろ肛門というより、尾てい骨が痛むような感覚が出てきた。痛みはさほど大きいものではなく、鈍痛といった感じ。痛さの質は、尾てい骨を打ったときのような、そんな感覚に似ている。よって一カ所が痛いというより、尾てい骨を中心としたその一帯が痛いような感じがある。そして便をするときには、痔のような痛みはない。まさかこの痛みがガンの疼痛だったとは、当時知る由もなかった・・・。

神様からの贈り物だろうか?ずっとほとんど起き上がれない状態が続いていたが、年末年始だけはものすごく調子がよく、おかげで紅白も見れたし、おせちもおいしく食べることが出来た。しかし年明けから急に食欲がなくなり、体調も悪くなってきた。体重もかなり減った(運動など何もしていないのに半年間で6キロ減)。さらに便通異常による腹部の不快感が耐え難いほどになってきたので、さすがに31日までは待てないと思い、再度医者を訪れ、予約を早くにしてもらうか、あるいは別の専門医を紹介して欲しいと依頼した。この時点で血便、倦怠感、微熱が続く。血便については、恐らくもっと前から出ていたのではないかと思う。なんせ見ていなかったのだから・・・(苦笑)。
大腸内視鏡検査、そしてガンの宣告 はてなブックマークに追加
2006年01月17日 (火) | 編集 |
2006年1月17日大腸内視鏡検査を受けた。話では、内視鏡自体はほとんど苦痛はなく、むしろその前に飲む下剤のほうがつらいと聞いていたので、安心して受けたが、実際はとんでもない苦痛であった!検査中あまりの痛さに私は泣き叫び、なんと3人の看護婦に押さえつけられたのである!!もちろん下剤もつらかった。アメリカの場合、日本と違い、自宅でジュースを飲みながら下剤を飲むのだが、もうまずいのなんのって、今でもあのときのホワイトグレープジュースを見るだけで吐き気がしてくる。恐らくもう二度とホワイトグレープジュースは飲めないであろう。

それにしてもアメリカは動きが速い。私が内視鏡検査終了後、瀕死の状態でベッドにうなだれていたところへ、もう写真付の検査結果及び医師のコメントが書かれた紙を持ってきた。そしてあっさりと「ガンです」と言われた。cancer という単語が聞こえたので、自分がガンらしいということは理解したのだが、あまりにも唐突で、しかも瀕死の状態だったので、「ああそうですか、ガンですか」ってな感じで、そのときはあまり実感が湧かなかった。さらにはアメリカで治療を続ける場合の医者までが引継ぎの挨拶に来た。医者にはアメリカで治療を続けるか、日本に帰国するか、とにかく至急決断したほうがいい、と言われた。とくに私の場合35歳という若さだったので、ガンの進行も早い。素人ながら直感でそう思った。だからすごく焦った。家に帰るとだんだん自分がガンであるという実感が湧いてきて、ものすごい恐怖を感じた。その日の夜は、自分の悲運を恨み、夫と泣いた。声を出して大泣きした。夫の涙を見たのは初めてだった。とてもうれしかった。ほんの少しだけガンに感謝した。