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闘いの終焉 はてなブックマークに追加
2008年08月30日 (土) | 編集 |
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【写真】オーストラリアの自然遺産フレーザー島で撮りました。美しい自然が豊富にあり、また行きたい場所のひとつでした。

みづきが亡くなってから一週間が経ちました。厳密には、今記事を投稿している15分後に、みづきの人生最後の呼吸を終えました。

みづきが病院を出る際、今までみづきに携わってくださった先生方、看護師さん、ボランティアさん皆さんが最後のお別れに来てくださいました。悔いの残らない闘病とする為の要素のひとつとして、病院や医療スタッフからの接され方も重要だと思います。納得が行くまで辛抱強く説明してくれたり、患者がどこまで我が儘を許してもらえるかの包容力など、病院によって様々です。その点で聖路加国際病院の緩和ケアは頑張りたい人にも頑張らないと決めた人にも、どちらでも満足できるのではないかと思いました。

そして、みづきと夫である私がきちんと最後の言葉を交わせた事も重要でした。昏睡状態に入る日、その日みづきは朝10時頃に目覚めました。いつもは朝6時頃には起きるので遅めの目覚めでした。私が6時半から居た事を話すと、待たせてごめんねと言いました。丁度、目覚めた直後くらいにリフレクソロジーのボランティアの方が来たので、お願いしました。みづきは、その日のスケジュールもきちんと覚えていて、今日はあれとこれがあるという感じで話していました。リフレが終わり、ひと休憩する際に、いつもよりも遅めの目覚めのキスをして、その後、自然と最後のお別れのような会話をしたのです。

私:愛してるよ
み:私も、この世で一番愛してる。
私:僕も、世界で一番愛してる。
私:今まで楽しかったね。
み:最後は大変だったけどね。
私:まあ、ちょっとだけね。でも、後悔はしてない。
み:私も。ありがとね。
私:こちらこそ、ありがとう。

という言葉を交わして、みづきが目を瞑り、そのまま昏睡状態になりました。

ドラマと違い現実の世界で最後に交わす言葉は選べません。結果的に最後になるだけです。ドラマのように都合良く交わす事は実際は不可能なのです。ですが、みづきと私の場合は運良く交わせた形となりました。私は人生の半分は運でできていると思っていますが、その運も只待っているだけではだめで、自分から手を伸ばす事も必要だと思います。今回の運は、お互いが直感に従った事で掴めたという事になるのでしょうか。そして、もうひとつ父・母・夫の三人が一丸となって精一杯みづきの看病ができた事。これがあったからこそ悔いを残さない事になりました。三人が完全燃焼できました。

みづきと私は、ビジネスと家庭を共に歩んできました。つまりは365日起きている時間、ほとんど一緒にいた事になります。ですが、不思議と鬱陶しさなどありませんでした。これだけ一緒にいて会話も常にしている状態なのに、話が尽きないのです。まさに一心同体という言葉通りの夫婦でした。ビジネスパートナーでもあるみづきとは、ビジネス面でも判断を要する場面を何度も乗り越えました。経営にも確実に成功するという正解は用意されていません。自分達なりに、悔いの無いよう情報収集をして決断して結果があるのみです。今回の闘病に関して取り組む姿勢も、自然にそれと同様にしていたのかも知れません。

さて、話は変わりますが、みづきが亡くなってしまった事で心配している事があります。このブログの読者の方で闘病中の方やそのご家族の方に対してです。やはり末期癌からの生還は無理ではないかという想いになってしまう事を心配しています。ガン患者が100人いれば100の症状があります。みづきの場合はこうなってしまいましたが、奇跡はあると今も私は信じています。みづきも抗がん剤が奏功すれば最長2年と言われましたが、実際には抗がん剤、放射線、切除手術をせずに2年半生きました。自分達の治療方法に間違いは無かったと思っています。みづきの場合、やはり効果があったのは、毎日1時間以上の散歩、無農薬野菜を中心とした玄米菜食の食事、ガンに負けないという気持ち、この3つだと思います。ガンに効くというサプリメント類は世の中に山のようにありますが、ほとんど使いませんでした。免疫細胞療法も、プラシーボ効果としてはあったのかなくらいでした。何か目に見える事をやることで前向きになれるのであれば、それも有効かと思います。しかし、実際には運動・食事・精神の三本柱で闘う事ができると思います。それと、家族の方は、ガンに打ち勝った後の将来像も一緒に考えてあげると良いのではないかと思います。そして、治療や看病に際して「方針は本当にこれでよいか」という確認を気持ち多めにして、お互い納得しながら進める事が重要だと思います。闘病中の不安は後の後悔につながります。みづきと私も不安がある度にひとつひとつ丁寧に解消して行ったつもりです。

そしてもし、ガン患者が他界してしまった後、家族に襲ってくるのは深い悲嘆です。この悲嘆も軽視できないようで、免疫力の低下を招き、それによって体に不調をきたしたり死亡に繋がるケースもあります。ある統計によると、一番悪い結果となったのは35歳~44歳の妻を亡くした夫で、通常の4.5倍の死亡率となるらしいです。同年齢の夫を亡くした妻のケースは1.6倍の死亡率との事なので、その年齢の男性は特に健康に気を付けなければならないようです。ガンについて調べ始めた当初、”ガンは伝染する”というケースが意外と多い事を知りました。ガンの原因がウイルスなどではないので、物理的に伝染する筈も無いのですが、結果として夫婦の一方がガンになると、亡くなるかどうかという時期にもう一方の配偶者もガンになっていたという事が少なくはないようなのです。同じ食生活をしている事や看病のストレスのせいなのか詳細な原因は解りませんが不思議な現象だねとみづきと話していた事を思い出します。

みづきのガンの一番最初の告知はアメリカの病院です。大腸内視鏡検査を受けて結果を知らされました。それと同時に、癌専門医とメンタルケアの担当医の二人を紹介してもらう事になります。このように日本と米国のガン患者への対応は、スタートの時点で既に違っています。日本でも癌告知と同時にメンタルケアの専門家をセットにすると良いと思います。ガンの告知を平常心で受け入れる事ができる人がどれほどいるのでしょうか。むしろ皆無に近いと思います。患者本人と家族の両方がメンタルケアを告知と同時に且つ自動的に受けられるような仕組み作りができれば素晴らしいと思います。

最後に、私はみづきを妻にした事に誇りを持っています。仕事と家事を両立させ、結婚するまで料理した事無かったのに、いつの間にかレパートリーが増え、私の希望する料理を何でも美味しく作れるまでに上達していました。とにかく行動力があるので、私が立案担当でみづきが行動担当という役割分担で二人の力を合わせればこの世にできない事は何も無いかのような気持ちでした。今回、たまたまみづきが病気になりましたが、もしこの立場が逆であってもみづきは同様の事をしたでしょう。むしろ私以上の事をしてくれた可能性の方が高いとさえ思います。みづきは亡くなってしまいましたが、この闘病で得た事は数多くあります。それらを今後の人生に生かして行く事で、自分の中にみづきが生きている事になるのだと思います。

私も状況が落ち着いたら、みづきとの約束でもあるのですが、帰国の時点で中断した我々の夢の実現、とある事業分野での成功を収めるべく海外へ再度出る事になると思います。

今までご愛読&数多くのコメントをありがとうございました。ここに厚く御礼申し上げます。
なお、記事はこれで最後とさせて戴きますが、このブログの閉鎖はしませんのでご安心ください。

それでは皆さん、さようなら。
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安らかに息を引き取りました はてなブックマークに追加
2008年08月24日 (日) | 編集 |
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【写真】みづきが書いた七夕短冊です。昏睡状態から覚醒した直後あたりの時期で意識朦朧や手足麻痺が残る中、自分の事ではなく「願い事はただ一つ。家族の健康と幸せ」との願いが書かれてありました。

先日(8月23日)午後6時43分。みづきが他界しました。
私、夫と父母の3人が見守る中、あまりにも安らかな死でした。その日の朝6時頃、血圧、体温、脈拍も計測困難で呼吸が浅くなり、そろそろかもという段階まで一度は行ったものの、その後自然に持ち直して、日中、一時は血圧92までにも回復し、一度だけこちらに話しかけているような仕草をしたので、喉が渇いているのかなとスポンジでいつものカフェオレを少量与えました。最期は、普通に呼吸をしていたのが自然に止まり、次の呼吸が無かった事で私達3人はナースコールをしました。呼吸は浅いながらも始終安定していて、寝顔も普通に寝ているような表情でしたので、苦しみは無かったようです。例えるとロウソクの火が自然に消えるような感じでしょうか。

土曜日のため、みづきをいつも病棟で診て戴いていた先生方はお休みで、当直医の先生は当然いらっしゃったのですが、わざわざ外来の頃から診てくださっていたY先生が、これもお休みのところ、恐らく自宅から駆け付けてくれました。今となっては死亡診断のみなので、一分一秒を争う必要が無いのに病棟に入る際にも走って来て戴いて、その真摯な姿に私は心を打たれました(私は電話をするためエレベータホールにいて、たまたま見掛けました)。そして最期の診察(死亡診断)の際も、じっくりとみづきを回想しつつとても丁寧に診て戴きました。顔なじみとなった看護師さん達も次々と最期のお別れに来て戴き、事前にみづきの希望を聞いて用意しておいた結婚披露宴の際にも着た最期のドレスを着るのと化粧も看護師さんにして戴きました。最期まで温かい医療スタッフやボランティアさん達に囲まれて本当に聖路加国際病院で良かったと家族はもとより、みづきもそう思っている事でしょう。とても素晴らしい病院でした。

実は脳転移が発覚した6月中旬、みづきが倒れる少し前から、もしもの際のために葬儀をどのように行うかを、みづきと話し合っていました。みづきには余命数週間という話もしましたが「そうなんだ」と軽く驚いた程度で、しっかりと現実を受け止めていました。しかし、この時点でも復活を諦めていた訳ではありません。なので、院内をとにかく歩いて運動するなどの復活メニューを以降も変わらずに続けています。人事を尽くして天命を待つというポリシーのもと、MRIの脳転移を示す結果や伝えられた余命日数は、みづきと私に対し動揺や狼狽を与えるものではありませんでした。ただ、可能性としてあるのであれば、クリアしておこうという判断で葬儀について一緒にプランを立てたのです。

そして、その葬儀についてですが、家族葬として行いますので、親族以外の方への日程・会場のお知らせは差し控えさせて戴きます。その後、四十九日より後になりますが、みづきの偲ぶ会を開催して、その際に友人知人を始めとした方々と在りし日のみづきを語り合う場を設けたいと考えています。みづきの遺志により湿っぽいのは嫌との事なので、偲ぶ会というよりは普通のパーティに近い形にしたいと思います。

それでは、本ブログ「みづきの末期直腸ガンからの復活の記録」の最後の総括として、あと一度だけ記事を投稿します。当面、ばたばたすると思いますので、一週間後を目安に掲載できればと思います。
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セデーションの確認前に昏睡状態になりました はてなブックマークに追加
2008年08月22日 (金) | 編集 |
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【写真】ハーブを戴きました。このまま部屋に置いていると自然な芳香剤となりリラックスします

みづきの夫です。
先日、最後を迎えるまで眠らせて置く処置について書きました。この処置のことを「セデーション」と云います。セデーションには、一時的なものと、今回のみづきのケースのような終末期に行う継続的なものがあります。
今まで、夜きちんと眠れるようにする為にドルミカムを点滴で投与していましたが、みづきのケースでセデーションの第一段階としても、やはり同じドルミカムを使用するとの事です。

セデーションの開始に際しては一人の医師の判断ではなく、患者本人および家族の意思のもと、複数の医師と看護師を含めたチームとして開始の是非を検討する事になります。みづきに関しても本人の希望もあり、先生方に検討して戴いていたのですが、本人に最終確認をする当日に昏睡状態となりました。従いまして、敢えてセデーション処置を施すことは現状していません。前述の通り、今まで夜にだけドルミカムを投与していたのですが昨夜からはそれも中止しています。
そんな中、みづきのサプライズ話として、もう覚醒はしないと考えられていた中、その夜に吸引の苦しさで目が覚めてしまったようで、半分寝ぼけていながらにも泊まり込んでいた父と簡単な会話をし、口をうがいしてカフェラテを飲んだそうです。それ以降の覚醒はありませんが、現在は今後の覚醒の可能性はゼロではない状況です。

血圧は確実且つ徐々に低下しており、上が90を切るようになりました。みづきに残された時間はもうあまり長くは無いようです。
せめてもの救いは、喉の痰の絡みが和らいでいる事(吸引を1日1回やるかやらないか程度)と、疼痛をあまり感じていない様子である事です。寝顔は至って平穏です。呼吸もゆっくりと穏やかです。

今まで、がんと闘ってきて約三年となります。その間、本当に様々な文字通り命を懸けた決断を迫られる場面の連続でしたが、みづきと私は、その時その時に出来る限りの文献や情報を集め、後に後悔をしないよう自分達なり慎重に判断し最善を尽くしてきました。なので、最終的にどのような結果でも私達は、ただ一片の悔いもありません。ちょっと前に意識がはっきりしていた時にも、その話をしていました。

この状況において、みづきに残された時間が数時間なのか数日なのかはもう誰も解らない状況で、みづきの生命力と天命に従うのみとなっています。
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そろそろ苦痛から解放されるかも知れません はてなブックマークに追加
2008年08月20日 (水) | 編集 |
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【写真】パシフィックエッセンスというエッセンススプレーをいただきました。毎朝、私(夫)がこのスプレーをみづきにかけるのが最近の日課となっていました。みづきもリラックスできていたようです。

夫です。皆様の数多くの励ましのコメントを有難うございます。
このブログを通じて、多くの方に支えられて、みづき、家族ともども大きな心の支えとなっています。

さて、みづきの病状ですが、金曜日あたりから耳管開放症の症状がかなり強くなり、頭の中で鐘を鳴らされているような状態となりました。外からの声より、自分自身の声がさらに大きく反響してしまうようです。木曜日まではテレビでオリンピックを観る事もできました(みづきも高校時代にやっていたことから特に体操の種目を観るのが楽しみでした)が、金曜日からはそれもできなくなりました。

さらに一昨日から呼吸も苦しくなり、酸素吸入を始めています。血中酸素飽和度という指標があるのですが、先日から85%となったので、現在は2L/分の量で酸素を吸入しています。水分を飲み込む力も低下してきて、数少ない楽しみのひとつの、好きな飲み物を飲む(一日1000ccまでの制限あり)ということも苦しくなりました。ゆっくりとゴクンゴクンと飲まないと喉に入って行かないのです。
痰も絡むようになり、定期的に吸引が必要になりました。痰がむせて、呼吸困難になるのがとても辛そうです。

そして、緩和ケアにおける緩和措置のひとつとして、残りの時間を苦痛無く平穏に過ごせるように、ずっと眠らすという方法がありますが、その措置は残り数日という段階でないと適用できません。
しかし、そろそろそういう措置が可能な範囲になってきたとの話がありました。
みづきは6月23日に危篤状態になり、その後奇跡的な復活を遂げました。その後体調もすこぶる良くなって、本人も「奇跡を信じる気になった」と言って、回復に向けて気が満ちていた時期もありましたが、やはり徐々に体力が落ちて行く事を感じ、それに伴い様々な苦痛もさらに加わり、残りの時間を眠り続けて過ごすという事を強く望むようになりました。

次に目覚めた際に、改めて本人に確認してから、そのような措置も検討することになっています。
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耳管開放症が劇悪化してしまいました はてなブックマークに追加
2008年08月19日 (火) | 編集 |
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【写真】金のネックレスをいただきました。

右耳の耳管開放症が劇悪化してしまったため、これが治るまで暫くブログは書けません。
耳は聞こえるのですが、自分でしゃべると物凄い音が耳に響くため話すことが苦痛になっています。
そのためブログは書けないのです。
申し訳ありませんが暫くお待ちください。

それでは今日はこの辺で。
皆様又次回お会いしましょう。

【父記】
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